「……何だと?」
唐突という言葉では生ぬるいほどの提案がヤクモの口から飛び出たとき、彼以外の皆が程度は違えど、こぞって驚愕の意を示した。
「……どういうつもりだ。過ぎた馴れ合いになんの意味がある」
「ひでぇ言いぐさだな。けどあんたの言う、来たるべきヒトのなんちゃらっつうのと、俺達の目的は一緒さ。このくそったれな世界を変えるっていう目的はな。知ってるとは思うが、俺達は血涙の源っつうとんでもない謎を解こうとしているんだ。俺がルイと一緒に居るのは、まあコイツの立派すぎる大義と計画に興味を持ったってのもあるが……この霧の中を進んで広く巡る奴なんて早々いないからな。それに……勘違いじゃなければ、《個人的な問題》も俺とあんたは共通してる。あんたみたいに当てもなく彷徨うより、世界の真理に近付くほうが、俺らの目当てを見つけるのによっぽど効率的じゃねえか」
「おいヤクモ、そんな簡単に―――」
「良いだろ、ルイ。それに、お前から始まったここに居る全員、どいつも似たような切っ掛けだったろ。急にお前がふらっと拾ってきた奴等もいれば―――」
「私達のこと……ですよね?」
「ルイ、イオに乱暴、しない。私にも、挨拶。それって、珍しい、の、かな? でも、悪いヒト、じゃない、違うのは、すぐ分かった。あ、ヤクモも、ミアもだよ」
「そうそう、最初は敵意剥き出しで絡んできた嬢ちゃんだってな」
「あっ、あれは……悪かったわよ」
今思い返せば、皆出会いは刃を交えていた。その場を生きるための供として、生きていくための敵として。
「まあ、やっぱ一番の本音を言うとだな。あんたの力を野放しにしておくのはもったいないんだ。充分すぎる戦力の増強としてはあんたを引き入れたい。無論、あんたはあんたの信念の元で活動して貰って構わねぇ。協力して欲しいときに居て貰えればな。どうだ、悪くない提案だと思うが―――」
「貴公の言いたい事は分かった。確かに一理あるだろう。貴公等全員が吸血鬼という根底的な問題を覗けばな」
考える素振りすら見せず、狩人は差し伸べられた手を払いのけた。
「分からないか? 貴公等はみな吸血鬼だ。であれば、それを担うだけの血涙はどうする。それを探し当てるのに時間を割いては、それこそ貴公が持ち出した効率の話は論外だ。それと、人間からの直接摂取などと言ってくれるな。それはヒトの所業では……おい、何をにやついている」
待ってました、と言わんばかりのしたり顔を全面に出すヤクモへ、今度は狩人が困惑する番であった。事実、この赤い霧の中で群れを成す吸血鬼の殆どは人間を家畜のように扱っていることが、まるで常識ですらあるように染みついている。この地を闊歩する堕鬼から守ると口から出任せを放ち、自身が力に物を言わせる怪物と成り果てている事を自覚していないのが、この荒廃した世界における吸血鬼の一般的な姿となってしまっていた。
赤剣と二つ名で呼ばれるまでの実力を兼ね備えたルイが助け歩いて集め、そして形成された知り合いの集落というのが本当に珍しいだけなのである。
「あんたがそう言うと思ってさ。言ったろ? うちには秘密兵器がいるって……つーわけで、いつも通りヨロシク頼むぜユピトリ」
そう言ってヤクモから手招きされた彼女だったが、現在味わっている至福の瞬間を手放すのがもったいなかったユピトリは、口をへの字に曲げて真っ白な膝の上から動こうとしなかった。
思わずずっこけかけるヤクモを流石に可哀想に思ったのか、膝の主はユピトリの頭を一撫でし、ただ一言「私からも、お願いです」と声を掛ける。途端、脱兎の如く彼女は枯れた血涙の大樹へと駆け出した。
そして――――
「……バカな」
狩人は今日一番の啓蒙を得た。血涙の大樹が生い茂り、枝から次々と全ての吸血鬼が抱える問題の根幹である血涙が、熟された果実の様に実っていく。ユピトリはそれを一つもぎ取ると、そのまま放心して突っ立っている狩人へと手渡した。
どうだスゲーだろ、と彼の隣に悪い笑みを浮かべながら並び立つヤクモ。彼はユピトリの価値を理解しているかどうかは知らないが、彼女の存在の異端さがルイの計画の遂行に必要不可欠であることは間違いない。彼等は本気でこの滅び逝く世界を変えるつもりなのだ。
そして、個人的な問題を解決するうえでも………。
「私、も。イオに謝って、もう乱暴しないって、約束。なら、狩人……ヴェルナーだっけ? 良いと、思う。斬られたけど、斬ったし。殴られたけど、蹴った。それに、友達、なれる、なりたい、な? あなた、悪いヒト、違うから」
舌っ足らずで、どこまでもたどたどしくヒトの言葉を語るユピトリ。あの彼女が信じ、供にするのが分かるほどに、ただひたすら真っ直ぐな感情の乗った音。そんな裏表のない真っ直ぐな手が、狩人の目の前に差し伸べられる。ヒトのものとは程遠く、されど彼が求めるヒトに近しいもの。
嫌悪や忌避は感じない、それどころか、むしろ……ただ、それでも……。
反射的であった。狩人はその手を粗雑に払いのけ、彼女から受け取った血涙を乱暴にヤクモへと押しつけると、踵を返してルイの方へと向かう。そして異形の大剣を躊躇無く目の前へ突き刺し、彼の目の前へと立った。
「貴公等の誘いに乗じよう。我、ヴェルナー・サングゥイン。穢れし血塗れの刃を今しばらく貴公等に貸そう。だが覚えておけ、貴公等がヒトへ仇成すと判断した暁には、この刃は迷い無く貴公等に向けられる。精々狩られぬよう、肝に銘じておくことだ」
まるで本に出てきそうな格式張った宣誓と共に手を差し伸べる『血塗れの狩人』ヴェルナー・サングゥイン。彼らしいと言えば彼らしいのだろうが……。どこまでもブレない彼の姿勢を真摯に捉えたルイは迷い無く彼の手を取った。
それは手段を選ばぬ彼の覚悟の表れでもあったのだ。
そんな中、せっかく渡した血涙を押しのけられ、粗雑な扱いを受けたユピトリはムゥッ!と頬を膨らませる。良いヒトかどうかはまだ分からないけども、悪いヒトではないなら仲良くなりたいな……なんとも言いがたいモヤモヤとムズムズを抱え込み、ヴェルナーの黒い背中をじっと見つめる。
「すまなかったな、にん……イオ」
そろそろ帰路につこうかと、皆が拠点へ足を運び始めたその時。ふくれながら悩むユピトリを待っていた真っ白な彼女の元へ、ずいぶんとぶっきらぼうな音が届いた。
届けられた彼女は思わず目を見開くも、届けた本人は真っ黒な帽子を深くかぶるばかりで肝心の顔が見えずじまい。それでも感じ取れたユピトリはふわっと笑みが浮かび、スキップを踏むかのような軽い足取りで、愛しき彼女の隣で歩く。行きとは違って翼は傷つき、大好きな空は遠けれど、大好きな彼女との距離が近いので。そんなイロイロを察してか、人形と呼ばれた真っ白な彼女にも、また新たな色が追加されたのであった。