1章 1


「…ここかな、半獣のレアものがいるって噂の…」



「れあもの?噂?…噂…あ、もしかして、私。多分、私。どうしたの?」



「!…ああ、はじめまして。風の噂で、君のことを聞いたんだ。」



「はじめまして。みんな、噂、を聞いたという。私、そんなに、噂?なの?」



「珍い。元化け物はたまに聞くけど、混ざり合ってできたものは初めてだ。自己紹介が遅れた、レノ…ただの人間。嫌じゃなければ、君のことを聞かせて欲しい。」



「む、私、は、化け物じゃない。ユピトリ。あなた、も、私を、知りたいという。

 不思議だね。ところで、レノ、は、悪い人?」



「ごめんごめん、ユピトリ。

 悪い人か、悪い人…五分五分だな。ロゼの知り合いっていえば、分かるかな。」



「ロゼ!知ってる。私の、大事、な人の、ひとつ。あなたも、ロゼの知り合い?なら、大丈夫。

 …ん?ロゼの、知り合い…もしかして、あなた、も、注射、する?」



「注射された?酷いなあ。酷いことするなあ。痛くなかったか?

 あいつ昔からああなんだ。自分の欲しか見えちゃいない。」



「痛い。痛かった。でも、偉いって、言ってくれた。ので、頑張った。

 レノ、は、私よりロゼを、知ってそう。ので、私も負けないくらい、知りたい。嫉妬?

 ふふふ、じゃああなたの事も、たくさん知りたい。」



「知ってるさ、一方的に。知らない方がいいこともあるんだ、ユピトリ。そんなことより俺は君の中身を知りたい。」



「そういうもの?ロゼに詳しい、あなたがいうなら、そうかも。

 それで、レノは、私の、何をそんなに知りたいの?」


「ああいや、ちょっと中身が見たくて。君の大好きなロゼみたいには、優しくしてあげられないけど。」



「中身…中身?て、もしかして、体の中身?

 うーん。確かに、優しくない。それは、とても嫌な気がする。吸血鬼なので、すぐ死なない。でも、痛い。それは、やだ。」


「見せてほしいなあ。ダメかな。腕一本、どうかな。」



「や!

 それなら、注射の方が、いい。痛いのは、怖い。ので、私はあなた、を、悪い人と、思った。だから、噛み付いてしまおうかと、考えている。」



「うん、じゃあ、そりゃ悪い人だ。悪い人だから噛み付いてもいいよ。」

 だらしなく両手をあげて

「はい降参。」



「むむ、むむむ。困ってしまう。困ってしまって、分からない。

 あなた、は、何がしたい?私の、中身を見たい。なのに、降参して、しまう。

 どうして?」



「なに。じゃあ見てほしいの?」



「むむむ。キョキョっ

 見せない!」



「残念だ。残念だけどまあいいや。…それじゃ、ロゼによろしく。」

 赤黒い液体が詰められた小瓶を置いて

「それ、プレゼント」

 と告げ、拠点を後にする



「血?…プレゼント。お返ししなきゃ。ロゼ、レノのこと、分かるかな。」


 後日。ロゼの拠点の窓を叩くユピトリ。


「ロゼ!ロゼー、窓、開けて!」



 窓を叩く音と、ぴょこぴょこ跳ねる小さな少女を視界に、ゆっくりと立ち上がって窓をカラカラと開ける。


「…いらっしゃい小鳥さん。エルは今、お風呂。」


 窓枠に肘をついて少女にそう告げるのは、金髪に紫の瞳を持った男。薄く微笑みながら、

「鍵を開けてあげるから、玄関から入りなさい。」



「こんにちは、ツァラ。今日、起きてる。久々だね、えへへ。

 今日、ロゼにこれ、見せにきたの。」


 何だかよくは分かっていないけれど、その小瓶を得意げにツァラに見せる。



 見せられた小瓶に、僅かだが表情が歪む。


「…なんだろうな。預かっておくよ。」


 とりあえず拠点へ招き入れ、ソファで待っておくように案内する。いくつかのクッションとブランケットで少女を囲み


「……水と珈琲、お茶、俺の血。どれがいい。」


 少女の前にしゃがみ込み、幼児相手のように問いかける。



「うーん。血は、きっと、ロゼが怒る。でしょ?ツァラは、ロゼの、大切な人。なら、私も、大切にする。

 でも。珈琲は、苦い。酸っぱい。ので、お砂糖、入れてほしい。」


 クッションを抱きしめて、足をぶらつかせている。



 注文通り珈琲を用意して、テーブルに置く。砂糖の詰められた容器も隣に。


「砂糖3つ。足りなかったら、足して。」


 風呂場の方で客人の目当てが上がってきた音がしたので、そちらへ向かう。s


「…ちょっと、ゆっくりしててね。」


 もちろん、少女の土産物を片手に、足早に。


「…もう一個、入れてしまおう。…2個かな?えへへ、甘い。お砂糖、なめたら、怒られるかな。

 うーん。やっぱり、我慢、する。」


 瓶を見つめ、自身の食欲と葛藤をしながら彼らを待つ。



 風呂場の方から話し声がする。随分話し込んでいるようだ。少女の方へ近づく足音。目当ての男が、小瓶を持って足早にやってくる。


「久しいな、ユピトリ。

 して、これはどこの誰に押し付けられた?」


 少女の目の前に小瓶を掲げ、ゆらゆらと回してみせる。



「ロゼ、湿ってる。風邪、引くよ?

 これね……えっとね。あ、思い出した。レノって、人。ロゼのこと、知ってるって言ってた。注射しないので、私の腕、ほしいっても言ってた。あと降参って、言ってた。あと悪い人って、言ってた。」



 次から次へ押し寄せる伝達に表情が歪む。


「…奴の言葉に耳を貸すな。お前は遊ばれている。」


 先ほどまでゆらゆら回していた小瓶をしっかり掴んで、拠点の奥へと持っていく。


「預かっておく。ツァラ、相手してやれ。」


 拠点の奥、一室へ消えていく。それは確かに、“入るな“の意思が感じられた。



「遊ばれる?む。遊んでたのだね。気づかなかった。

 ロゼ、いつもと、ちょっぴり違う。そんなに、変なの?瓶の。ちょっぴり、不安。」



 取り残されぽつりと呟く少女の隣に座り、金髪の男は静かに告げる。


「……自分のテリトリーを荒らされて、むしゃくしゃしてるんだ。」


 ふぅ、と息を吐いてソファに体を預ける。砂糖の塊を一つ齧って


「…かわいいでしょ。」



「よくわかんない!でも、ツァラが、そう思うなら、ロゼはかわいい。私には、賢い人に、見えるけど…じゃあ、今のロゼは、賢くて、可愛い人。

 …砂糖、食べていい?」



 正直な様子に思わず笑みが溢れる。このまま汚れなく大きくなってほしいなと思いつつ、口に出た言葉は別物だった。


「…そのうち分かるよ。」


 砂糖を食べたかったのだろう。わざわざ確認をとる少女は真面目で偉い子だ。意地悪をする理由もない。


「どうぞ、いくらでも。」



 朗らかに笑みが出た。甘味を口いっぱいに詰め込んだって、咎められることのない喜び。けれど勘違いしてはいけない。許しに満足をしてはいけないのだ。


 2、3個、白い角砂糖を頬張って、ユピトリはピッタリと瓶に蓋をした。

「美味しいね。」

 それからまた、ソファの上で足をぶらつかせる。



 ただの角砂糖。甘い白。たったそれだけで、幸せを幸せだと素直に表現できる小さくて儚くて、レア物だと謳われ、右も左もわからないくせに、どこか真っ直ぐで、光のような少女。

 そんな少女にこれから数多の試練が待ち受けていると思うと、可愛くて堪らない。


 その思いを留める枷も今や拠点の奥。積りに積もった激情は、老朽化した判断機能に無視して、独り歩きする。


「…………真っ白で愛しいユピトリ。顔をよく見せて。」


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