2章 14


 すこし長い外出だった。

 ロゼのお願いだから、って ながいこと歩いて、手を引いて貰って。内容が内容ですけど。


 久しぶりに会えた目当てに興奮してしまって、ちょっと、すこし奮発して、使いすぎた。

 床に転がってた獣にちょっかいをかけた。

 揺さぶりをかけてみたら、化け物を怒らせて、水を撒かれた。


 それからあたまが重くて、処理がゆっくりになった。

 客人をもてなす気力もなく、目を閉じて、今。


 もちろん意識はしっかりあって、すなわち、充電中の端末。


 冊子が置かれる感覚も、目の前にしょぼくれた鳥がいる感覚だってある。


 綺麗な緑をあたり一面真っ赤にしてやったことや、脳味噌に干渉して壁にぶつからせてみたこと、いろいろ、気に触りかねない事を繰り返しても。

 反応があまりなかったのが、癪だった。


 だから、眠ってみた。

 すこしの充電もかねて。


 そしたら、聞き覚えのある台詞。

 _ああそれは、人魚の前ではしない方がいい。


 まだ、起きてやる気力が十分ではない。

 彼女の呼びかけから、すこし間が空いて。

 ネクロの首輪が、まるで声に反応したかのように黄緑色が光を持ち、数回点滅する。


 身体を丸めたまま、ゆっくりと。

 薄く目を、口を開ける。


 近くに蹲り込んでこちらを見る彼女の目を、見て。


「 ………はい、なんでしょう 」


 景色は変わらず、赤のまま。



 赤色の世界に似つかわしく無い黄緑色が不気味に光る。

 質問に質問を重ねられて、ユピトリは少し困ってしまったように首を傾けた。


「えっと、えっと。あのね。私、似たところ、知ってるよ。」


 それはつまり、以前に王に誘われた世界の事なのだけれど。そこは確か、青かった。

 青空とは違う青。

 小鳥には見る事のできない青の世界の最後は、王の死をもって泳ぐ命は朽ち、赤くドロドロと溶けてしまったような気はするが。


 こことそこはなんだかよく似ている。違うといえば、朽ちる命が無い事だろうか。


 もう同じ過ちを踏むまいと、ユピトリは彼の手元や点滅する首元に目をやる。安堵する。

 今回注射器やそれに類似するものは、彼の側に無いように見えたのだ。


 という事は、今回はロゼが助けに来てくれないという事でもあるのだけれど。

 ユピトリは、彼ならこの後どうするのだろうとも考えた。


「ふむ。」


 根本的に思考の回路が異なるのだから、それはとても難しい事ではあるのだけれど。これまでの言葉や行動を思い出しては、何をどうするのが良いだろうかとユピトリは考える。


 彼がどこかで先生と呼ばれる所以だろう。彼女にとって彼の存在は、思ったよりも大きくて。真似したくなってしまうのはやっぱり好きだったから。


「あのね。困ったことに、私、あなたに何かあっても、助けられない。

 …助けて、あげない。

 ので、ネクロ。ちょっぴり、気をつけてね。」



 薄く開いた目。瞬きして、彼女のぱくぱく動く口、目、耳。

 ある世界では獲物と、ある世界では神と定義されるであろうものを じっと。 シャッターを切るように視界に捕らえている。


 おそらく意図的に発言された例の構文。

 ここに観客がいたならば、僕はきっと、振られたとして、笑われていたでしょう。


 ひどく落ち着いた頭は、ソレに反応しようとしなかった。


 ただ瞬きをして、言葉を聞いて、ぼーっと彼女の、もっと奥の壁を見て


『 そう 』


 片手をゆっくり持ち上げて、ぬるりと彼女の目前間で。目前で、止めた。


『 残念 』


 バチッ_____


 わずかな電流。光。攻撃?牽制、仕返し?

 多分。きっと ちいさな 仕返し。

 電源は、変わらず。薄く目を開いたまま。



 短い悲鳴があがる。


 夜の鳥である彼女の目には、その一瞬の光はあまりにも痛くて。瞬きに、誰の真似でも無い彼女の本性が照らされた。

 両手で顔を覆い隠しながら、ユピトリは鳥のようになった姿でみっともなくひっくり返る。


「あ。」


 ようやく彼が張り巡らせたからくりに引っかかって戸惑っているというのに、残念ながら今の彼女の目の前には星が舞っていて。

 嬉しいかな、楽しいかな、それとも。一体彼がどんな顔をしているのか、よく分からないしよく見えない。


 なので彼があっかんべーと、長い舌を出して大笑いしたって気づかないだろう。


 鱠を叩いたような例の鳴き声で喚くけれど。

 きっと今日は誰もこない。



 光に、光に住んでいそうなのに

 光で、光で まるで だれかにとっては害悪のように思える光を押し付けてきそうなのに


 光に弱い。


 光の 光の根源みたいな うっとおしさをしているのに、ひかりによわい。


 緑を映し出していたガラス張りに

 たくさんのフラッシュをたいてやれば

 どうなるんでしょう

 シロの裏がクロのように、

 あなたの裏は 闇___


 そんなことを考えて、ゆっくり瞬きをして

 ソファに預けていた身体を起こす。


「…………」


 なにも、なにも言わずに

 ただ彼女を観察する。見る。見ている。


 ガラス張りじゅうの、一面の赤と赤と赤、黒。

 電源の、緑はちかちか点滅して。

 ない目から、ある目から、突き刺すような視線から。


 ご覧 これが。



 “この暗闇の中では、己が身を焦がさねば辺りを照らせまい”


 ユピトリという名を宿してから実直に自身を灯火としてきた彼女に、もしも他の灯りを見せたなら。

 彼女が必死に身を焦がす理由が、薄れてしまう気がする。


 何度も瞼を押さえて、よろよろと身体を起こして、おそらく彼がいる方を向く。

 どうしてこんな事するのとか、急にびっくりしたじゃないかとか、言いたいことはいくつかあったけれど。


 舌の奥、喉の手前で渋滞、衝突を繰り返して、出るものは鳴き声ばかり。


 少しグロテスクな事を考える彼を、擦って赤くなった目で睨む。


 まったく、もう。点滅し続ける首元に飛びかかってしまおうか。

 どんな理由をつけてあげましょうか

 理由なんて、ないのですけど ああ いいえ 嘘ですが、この お腹の奥がどきどきする感覚は、きっと 僕の大好きなもの


 甘くてどろどろで 真っ黒

 味覚は ないのですけれど ……


「 フフ ふ、あは ははは 」


 口元をかくして、わざとらしく笑い声をだす。


「  僕  」

 あなたが悩んで苦しむの 大好き

「  ぼく  」

 あなたのこと 憎くて仕方がない 

「  わたし  」


「あなたのこと だいきらい」


 弧を描く口元が、かくしきれないの。


 太陽、たいよう、ひかり、ひかり、

 ぼくにないもの、 それがあなた

 ぼくのないもの、きらいなもの


「     」


 ぼくは あなたを かってに光に変換して、ひかりだと思い込んで 被害妄想をくりかえして


 わかっていないふりをするあなたを

 攻撃するのが たのしかった


 光に恵まれたものと、

 にせもののひかりしか作れないもの


「   はあ

       、いやな ひと… 」


 ぐうぜん与えた衝撃が

 会心の一撃になったとしても


 ぼくは治癒役ではありません

 治して「あげる」気さえ、ありません

 かといって、


 攻撃する気だって  ありません


 あなたが 履修すべきなのは。


『 おじょうさん うしろ 』



 彼女は、頑なに前ばかりを見て生きていて。深海や宵闇がようやく排他したものを纏ってやって来て。


 いやなひと。


 あなたは、他人の不幸に喜んで。光と闇や黒と白に執着して、その眼に映るものは二進数ばかりで。


 いやなひと。


 かといって積み重ねた命ごっこを崩すつもりも、生まれ直すつもりも無いでしょう?


「…見えた。」


 一瞬の盲目で見えなかったものの事に気づく。それからしまいこんでいた翼を広げた。ここの主が電気を放つのなら、わざわざ見せつけるように翼を広げたっていいだろう。

 彼女は決して優しいわけでは無いのだから。


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