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 穢れた汚物である事に変わりないというに……何を今更……。異形の刃を振りきれず、動きの止まった狩人を怪訝に見つめるユピトリ。唐突に訪れた一時の静寂……そこへ、いくつもの紫電が狩人へ走った。


 内に湧いた愚かな雑念を捨て、大剣の腹を盾のように構え、全弾を受け流す。堕鬼ではない。明らかに敵意が向けられた血の業、錬血に違いなかった。


 荒れ狂う雷光の紫弾の全てがブレることなく真っ直ぐ自身に向けられた。半獣の仲間と断定した狩人、新手にすぐさま体勢を整えようと一歩その場を離れ、大剣を構え直す。


 しかし、剣を向けた先にいた存在を認知すると、今度は狩人の動きが止まる瞬間だった。同時に意識の境目にいたユピトリもまた、自身と狩人の間に立ち塞がり、魔の手から守ろうとしてくれる存在へ息を呑み、痛みを忘れるほどの衝撃を受けていた。


 彼女の存在は、本来このような血生臭い戦場にはあり得ない。それでもただ純然と両手を広げ、恐れを感じさせない仁王立ちで、目の前の脅威と対峙する。半獣が一途に焦がれる白がいた。


「貴様…!?」


「イオッ!?」


「・・・・・もうお辞めください、継承者様!」


 この場の誰もが予想だにしていなかった介入に、一瞬の時が止まる。いつもの貼り付けた無表情とは違い、しかめっ面で立ち向かっている彼女の姿。


 唐突すぎる事象へ宿す思いは違えど、思考を一定まとめるのには、両者ともに一筋縄ではいかないよう。それでも、得物を構え直して復帰したのは、やはり狩人が先であった。


「……成程、貴様だったか。可笑しいものだな、人形如きがペットを飼うなどと」


「継承者様、ユピトリはペットではありません。彼女は私の大切な―――」


「忌々しい称で呼ぶな! 前にも気に入らんと告げた筈だ」


「では、ユピトリをいち吸血鬼として認めてください。彼女は決して、継承者様の定義するところの汚物などではありません」


「貴様……一体何のつもりだ?」


 いつもの彼女にしては珍しいハッキリとした物言い、ましてや相手を挑発するようなトゲのある態度、不快そのものを隠そうとしない表情を現す彼女。そんなイオをユピトリは見たことがなかった。


「……継承者様が吸血鬼狩りの狩人としてお噂となっていることは存じています。ですが、あなたも感じたはずです。ユピトリは、例え危険を顧みずとも、他者を思うことのできる優しさを持っていることを」


「笑わせるな! 鳥でも獣でもなく、ましてや吸血鬼ともあり得ぬ。よくて堕鬼の成り損ないたる半端物を、あろうことか認めろと? 貴様は私にそう言うのか?」


「私自身も、新たな継承者様たる彼女の全てを知っているわけではありません。無論、血塗れの狩人と恐れられる継承者様のことも」


「この人形風情が、やめろと言って……継承者様? ああ、そうか。そういうことか。ようやく匂いの合点がついた。流石だと言っておこうか、真白き人形よ」


 クックックッ……と嘲笑う狩人を余所に、いつの間に何所へか、蚊帳の外にされたユピトリ。いの一番にイオが助けに来てくれたのがどうしようもなく嬉しく思う反面、何故こんな危地へと一人で来てしまったのかと、対照的な思いに挟まれ苦しんでいたのは最初の内。


 当事者であるはずの自身を抜かして何やら盛り上がる二人に、ユピトリの内で想い人を失ってしまうかも…とはまた違う焦りが生じていた。


―――イオの、知ってる、ヒト? 喧嘩が、できる、なの?


「何が、可笑しいのです」


「嗚呼、己が使命に従順で、哀れな人形よ。その汚物をそこまで庇うのは、貴様の『継承者様』なのだからだろう?」


「……っ! 違い、ます……ユピトリは…」


「違うものか。貴様等という存在がそうではないか。自らの生に一切の疑問を持たず、ただただ与えられた使命という名の枷を填め続ける。これは最早ヒトではない。人形と呼ぶほか無いだろう?」


 思えば、イオと喧嘩というものをしたことがなかった。喧嘩するほど仲の良い、という言葉をヤクモから聞いたことがある。喧嘩とはお互いをある程度理解していなければできないものだとも、物知りなルイから聞いたことがある。


 でも、目の前の二人は全然仲が良さそうには見えない。それに狩人が人形と呼ぶ度に、イオがどうしようもなく嫌な顔をして、それでいて汚物と言われれば訂正を求めるのに、人形には嫌な顔をするだけで……どうしてかは分からないが、どうしてもイオ自身が否定できないように見える。それは…どうしようもなく、嫌だなあ…。


「違い、ます……違います。今はまだ、何が違うのか、うまく言葉にすることは叶いませんが、それでも私は……それだけは違うと、言わなければいけません」


「……ほう?」


 核心を堂々と突かれたにも関わらず、イオは必死に芽生え始めた自我を手放さなかった。狩人の言う人形たる自らにとって、それは容易なことではない。ガクリと今にも崩れ落ちそうな足を奮い立たせ、イオはまだ狩人と対峙し続ける。


 真っ白だった彼女が少しばかり色づき始めたか。まるでヒトへと成ろうとしている様にも見えた狩人は、思い知らされた様に少しばかりの感心と興味を覚えた。


 それでも、彼女が抱える使命がそうであるように、狩人が掲げる使命もまた軽くはなかった。問答を重ねるばかりで進まぬ現状を打破すべく、イオを乱雑に退かし、狩人は再び柄に力を込めた。


「いけません、継承者様!」


「くどいぞ、人形!」


「イオ、ダメ!」


 尚も立ち塞がるイオの首元へ異形の刃を突き付ける狩人。再び訪れた思い人の危機に、ユピトリは死にものぐるいで口を開く。


 けれでも、彼女は黄金色の瞳を微動だにせず向け続ける。その双眼の奥底にあるものが半獣と重なった時、狩人はまたも思い知らされた。今度は途方もなく、気に入らなかったのだ。


「貴様もまた、ヒトであろうと藻掻くのか? そこの汚物と同じように、流れる血の彩が同じだけの人形風情の貴様が」


 突きたてた刃先を少しずらすと、イオの首元から一条の赤い滴が垂れる。それはまるで、真っ白な彼女が穢されてしまったかのよう。少なくとも、ユピトリにはそうとしか見えなかった。


 刹那、彼女の双眼は一色に染まり、獣性が轟いた。



首元を伝う赤い雫がゆっくりと這い、真っ白な肌から滴り落ちたその時、一迅の突風が吹き荒れる。鈍い痛みにイオが目を瞑った瞬間、狩人の全身に途方もない衝撃が襲いかかり、彼の身体は地面と真っ直ぐ平行のまま瓦礫に突入する。


 勢いのまま吹き飛ばされ、彼方にて粉塵に呑まれた狩人に思わず目が向かったイオ。足下には彼が手放した異形の大剣が横たわっている。そんな中、何が起きたのか理解が追いつかず彼女は呆けるばかり。しかし、先程まで狩人がいた場所へ立つ自身の伴侶の姿を見て、彼女はホッと胸をなで下ろした。


「ユピトリ…大丈……!」


 しかしそれも束の間、彼女は即座に掛けるべき言葉を飲み込まざるを得なかった。


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