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 狩人の大剣に冥血が凝縮されていく。刻一刻と殺意の波動が迫る中、ユピトリの静止を聞かずに、彼女はただ白き羽を包むように寄り添う。死が間近にある現状だというのに、彼女の顔は自然と穏やかであった。


「空っぽな私に、この暖かさをくれた貴女に、私自身ができることは何だろうと……答えは今も分かりませんが、それでも…貴女を守りたい…と…離れたくない、と…ユピトリを信じたいと……うまく言葉にできず、すみません。でも、貴女を助けたいと想う気持ち、これが私のやりたいことだと思います。色づく日々を貴女と共に生きていきたい……これからも、ずっと…あなたと共に、歩んでいきたいのです」


 あなたと共に……イオがその言葉を口にしたその瞬間、ユピトリの中で情景が弾けた。本来、自身に存在するはずのない断片が次々と脳裏を過ぎ去っていく。まるで走馬燈の如きその中で、目の前のイオと重なる一人の少女。


あなたと共に……


 ずっと求め、憧れていたその言葉。言葉はやがて祝福へと変貌を遂げ、半獣の体内を駆け巡る。自身の中でふつふつと沸き上がる蒼き冥血が、またもユピトリに力を与えていた。


 「……綺麗」


 無意識の内から生まれた真新な感想。彼女を包み込む青は、獣に堕ちたときのような深海の如き底の見えぬ青ではなく、果ての見えぬ晴れ渡った蒼穹のような蒼。


 想いが、正しく力として発現した彼女の真っ直ぐな蒼瞳が、狩人の澱んだ赤眼を捉えた。


 最早後戻りなど許されぬ彼が、その目を前にしても剣を納めるなどという選択肢は無い。堪らず狩人は目を背け、穢れた血の波動を解放する。二人を呑み込むには充分すぎる、業に塗れた深紅の激流。


 ユピトリは臆することなく、羽を目一杯ひろげ、真っ直ぐと自ら呑まれていった。狩人の想いをも受け止めるかの如く。


「ユピトリッ!!!」


「バカな……!?」


 真っ向からぶつかり合う二色の想い……全身が焦がれ、焼け付く痛みに苛まれようとも、ユピトリは彼の中で羽ばたくことをやめなかった。想い人のため、力の限りに羽ばたく彼女はまるで…星そのものであった。


 そして、遂には…鳥が飛びきった。


 狩人が生み出した錬血を全て弾き飛ばし、彼女は狩人の前に降り立った。得物の持ち手に力が入らず、ただ呆然と立ち尽くし、目の前の獣を見つめる狩人。相も変わらず表情は見えないが、それでも纏っていたはずの殺気は跡形もない。


 そんな彼に何を思ったか。ユピトリはただ、にへらっと笑い、かと思えばふらっとその場で倒れかかった。


 反射的に手を差し出す狩人、しかし先に届き、彼女を支えたのは穢れを知らぬ真っ白な両手。


 人形と蔑称し、散々に見下していた白き彼女は、鮮やかな微笑みを浮かべていた。


 互いに支え合う二人の姿は、まさに…狩人の理想とするヒトの姿。


 互いに異形であるはずの彼女等から見出してしまった狩人が、異形の刃を再び構える事などできるわけもなかった。


「二人とも無事か!?」


「おいおいおい! なんなんだよこの有様は…どんな戦い方すりゃこんな……ッ!?」


 状況が完全に膠着してから数分が経ち、ようやく騒ぎを聞きつけたであろうユピトリの顔なじみが現れ、すぐさまボロボロな彼女等を庇うように狩人の前へ対峙する。彼女等と同等なまでに満身創痍に見える狩人の前でも、ルイ、ヤクモの両者は武器を降ろさず、じわりと冷汗を滲ませながら警戒を怠らなかった。


「血塗れの狩人、何故お前がここに…」


「また会ったな、赤剣。そう構えずとも、再び貴公と刃を交える気は更々ない」


 言葉の通りか、狩人の語気には力強さの欠片も感じられず、纏っていた刃のような気迫も形を潜めていた。しかし、同胞をここまで傷つけられたルイの方はそうでもない。


「俺達の仲間をここまでにしておいて、よくそんな事が言えたな!」


「……それも、もう済んだことだ。そこな獣を狩る気はもう起きぬ」


「お前の言葉なぞ信じられるか! お前の勝手な思想や主義で、一体どれ程の同胞の血を流し、その身に浴びれば気が済むんだ」


「……もしや貴公、あの時……件の吸血鬼に対し、未だ私に尾を引いているのではあるまいな? どう足掻いてもアレは汚物(堕鬼)と成り果てていた。なのに貴公はあれ程の血涙を無駄にしおってからに。救いようのない汚物に、貴公に変わって私が処理したまでのこと。ああ、話が逸れたな。それでも構えるならば…私は一向に構わんが?」


「…このっ!」


「落ち着けルイ! ……その気は無いって言ってんだ。例え傷ついているとしても、今すぐあんたとやり合う程、俺は命を粗末にはしたくない」


「なっ!? 本気かヤクモ!」


 怒りが一時的に飛散するほど、彼が自身を諫めたことに驚きを隠せぬルイ。知人の中で仲間と呼べる者達に対する情が深いとされる彼であったが、同時に彼は万事に慎重家であった。此度は後者が勝ったのだろう。彼の柄の握り手がじわりと汗をかき、何度か持ち直しているのがその証拠である。


「ああ、本気さ。その口ぶりだと既に一戦交えたのか? まったく……それにしたって随分大人しいじゃないか。あんたらしくもない。その様子じゃ、うちの秘密兵器に手痛くやられたようだな?」


「そういう貴様は図体ばかりがでかくなっただけだな、シノノメ。得物の握り手が深いな。焦っているときの悪癖は未だ抜けぬか」


「…っと! そう言うあんたは変わりすぎだ。芝居じみたその喋り方、随分と板についてきたんじゃないか?」


 言葉のみが強く、なおも闘気の欠片も纏わずに、まるで牙を抜かれた様子の狩人に違和感を感じるヤクモ。


 イオだけではなく既に二人とも顔見知りの様子だが、やはりと言うべきか。あまり良い印象を持ち合わせてはいないようだ。


 そんな重たげな空気とは裏腹に、当の被害をこうむったイオは安らかな表情で先の戦いの功労者を自らの膝の上に乗せ、またユピトリも満足げな表情を隠すことなく休んでいた。


 柔らかで真っ白な膝上でスースーと幸せな寝息を唱える彼女の頭をさすりながら、イオは目の前の状況を静かに観察し、半獣の彼女へ如何に分かりやすく話そうかと考えに耽ける。そんな時、またも状況を覆す人物が顔を見せた。


「ちょっと二人とも! 人間の家族を保護したってこと忘れてないかしら? 吸血鬼の全力にこの人達がついて行けるわけ……ヴェルナー?」


「…っ! ミア・カルンシュタイン…何故、貴公がここに?」



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