6章 51


 やっぱり。死んでなんか、やるものか。

 死んでなんかやるもんか。


 体を。背中を伸ばすと、傷んだ体が軋みました。その痛みに、なんだか生まれ変わったような心地がしたのでしょう。


 今日は何月何日だろう。


 日付に生きる必要なんて無かったユピトリは、この時初めて、自分の生まれた日を欲しがりました。

 誰かに、おはようと、祝って欲しかったのです。


 ハッピーバースディ、ユピトリ。

 何度だって生まれ直せてしまうあなたの、何度目かの誕生日。数なんてもう、いくつあったって足りやしないので、ここにカレンダーがあったって、きっと意味なんてなかったでしょう。


 ユピトリは、くるり、と辺りを見渡します。ぐるり、と辺りを見渡します。

 知らない壁、知らない天井。散らかった本の山。

 予感なく訪れたここは、さあ、一体どこだろう。


 私は。突然の、寒たい冬の、森の中。雨雪の溜まった空の下に倒れたはずだった。

 ニアが、ここまで連れてきてくれたのだろうか。同じくらいの背丈だもの、濡れそぼった私の体は、きっと重くて持てやしないだろう。

 ソファの上に投げられた上着は、なんとなく見覚えがある。これはきっとジズのものだろう。

 ということは、ここはジズの家?ジズの部屋?


 …ちょっと、きたないな。なんて、彼女が言えた義理ではありませんけれど。


 確信はないものの、きっとジズが、自分をここに連れてきてくれたのでしょう。なら、お礼を言わないと。

 そう思って、ベッドから飛び降りたものの、ユピトリは足の裏、床の冷たさにしかめ面をしました。


 寒さはもうこりごり。

 そういうわけで、彼女は着替えることにしたようです。


 淡い、檸檬色の牙装を脱ぎ、重い、月に映える色の上着を手に取って、袖を通します。

 暖かい上着に、別の生き物の匂いが混じりました。

 彼女の牙装には、プレゼントの箱についているような青いリボンがついていますが、これはとても大事なものですから、ユピトリは優しく取り外して、自分の腰の周りに結びつけました。もう一つ、持ってきた白い花も忘れずに、一緒に結びつけました。


 靴もあれば、もっと良かったかもしれません。彼女が自分の足が、昔、みんなのように人のようだった事を思い出せたなら、もっともっと良かったかもしれません。


 さあ、準備ができました。

 脱いだ自分の抜け殻を、大切そうにベッドに干してから。本の摩天楼を通り抜け、彼女は部屋の外へ出ていきました。


 その間も、指揮者は歌い続け、彼の行方を辺りに知らしめます。

 心を見せたがらない彼の代わりに、心をひけらかすのです。


「____♪」


 その息が、もしも声に変わったのなら。

 あなたは。


 …きっと、何もしないということをするのでしょう。



 部屋を出たユピトリの目の前に、涼しい雰囲気が纏わりつく。


『もういくの?』


 あなたが眠りに落ちて、どれくらい経ったのでしょう。

 外は騒がしくて、空気が悪い。

 近づく雰囲気に、人の姿を見る。


『気をつけてね』


 同じ背丈の、女性だった。足元は透けていて、それでも目は合った。

 姿の透けている女性は、触れられない手でユピトリの髪を撫でた。


「目覚めたか 客人」


 別の声がすると同時に、女性の雰囲気は一瞬で消え去って、見えなくなった。


 少し遠くに背の高い人間が立っている。長い髪を後ろで東ねて、赤い目をしている。

 その人間はユピトリに近寄って、見下ろした。


「体調は?」


 険しそうな目をしているが、そうでもないようだ。言葉の尻が柔らかい。

 ユピトリの額に手の甲を宛てる。大きな手だ。


「飯は食えるか」

「食えるなら、部屋に戻れ。持って来させる」


 背の高い人間はユピトリを部屋に戻るように促すと、再び扉を開けた。

 また見えるごちゃごちゃした部屋。


「飲み食いタダだ 喜べ若造」


 ほんのり口角をあげて、笑った。


 ____


 何日経った?

 何日経った!!??!


「元気だ!アッハッハ!!!どうしよう!全然死ねそうにない!!!」


 体感5年歩いたジズは、服が雨で重くなっても、唇が青くなっても、目眩がしても、体感5年一言も喋らなくても、倒れなかった。


 だから、倒れてみた。仰向けに。


 空を見る。腹が立つ。


「…………」


 天に手を翳して見る。爪の間に汚れが溜まっている。

 ああ池に浸かればいいだろうか。花を踏めばいいだろうか。


「ボクは、自由以外に興味がない」

「ボクは、面白いこと以外、興味がない」

「ボクは、つまらないことが嫌でたまらない」


「…」


 ジズは黙り込んで、挙げていた手を下ろして顔を覆って、消えるような声で呟いた。


「ネモ」


「____はい」


 数秒経って、別の声。別の人間。黒い上着を身に纏って、今様色の髪。

 仰向けのジズのすぐそばに現れて、立っている。


「助けて」


「…ええ。勿論です」


 ジズの泣きそうな声に返事をして、ネモはすぐさま懐から刃物を取り出して、ジズの首スレスレの地面に突き刺した。


「退いてください、あなた。でないと食べてしまいますよ」

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