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―――冗談じゃない! 


 苛立ちを脚力へと変換し、砂塵をあげるほどの勢いで飛び立つ。束の間の平穏など、今程に望まぬ瞬間はない。勿論、想い人が危ない目に遭うことは論外だが、流石にこうも殺風景ばかりではいつもの仕事ぶりをアピールできないどころか、イオに飽きられてしまうのではないか。


『もう探索には行きません』

『ユピトリと行くよりも、他の方々と一緒の方が楽しいです』

『サヨナラ、ユピトリ』


 自身が考え得る最悪が途端に幻聴し、文字通り血眼となって索敵を続けるユピトリ。


 雄々しき翼で縦横無尽に空を駆け回る彼女に尚も感嘆の目を向け続けるイオ。


 向ける想いは案外に近けれど、向かう矢先が天と地とで食い違うのは、伴侶という先んじて歪な関係が生じてしまった二人には、なんとも皮肉なことである。



そして突如、崩落した市街地の最奥にて血煙が舞った。それはまるでユピトリの思いに応えたかのよう。間違いなく誰かがそこで戦っている。


―――ルイかな? ヤクモかな? ミアかも……? …………ッッ!?


 別働隊の皆を思い浮かべ、一瞬の歓喜が身を包むのも束の間、ガスマスク越しでも風に乗ってきた微かな香りが、ユピトリの空気をひりつかせた。僅かながらもむせ返る、混ざり合った吸血鬼の血の香…ユピトリの大嫌いなサヨナラの匂い…。


 間違いなく、誰かがあそこで死んだ……。混ざり合ったとはいえ、新鮮なそれらは同じような匂いがした。誰かが…ナニかがあそこで、何人も死んだ…何人も殺した……。


 すぐさま翼をたたみ急降下したユピトリは、今までにないほど真剣な眼差しで想い人の下へと着陸する。急な豹変ぶりにイオはきょとんと首を傾げるも、表情から即座に大事を悟った。


「ユピトリ、何を見つけ……いえ、何を感じました?」


「誰か…うん。みんな、の、匂い、違う。でも、でも。…変なの、奥に」


「では、そこへ共に行きましょ―――」


「ダメッ!!」


 頭から打ち消すユピトリの金切り声。折角のイオの提案だが、ユピトリとしてはなんとしても認める訳にはいかなかった。


「…ごめん、ね。でも、ダメ、やっぱり。あぶない。たくさん、の、危ない。ので、イオは……うーん、と……ヤクモ! そう、呼んできて、みんな。ね、後から来て欲しい、かな?」


「……あなたは、どうするのですか? まさか…」


「大丈夫、いつもの!なので。私、が先。見て、戦って、後から、みんな、来る。来てくれる、でしょ?心配、ない。私、強いので!」


 待って…そう手をかざしたその時には、彼女の白い羽だけがその場で舞い残っていた。


 残されたイオはひとまずユピトリの指示どおり増援の連絡を別働している者達へと入れた。彼等も同様、なにも慌てることなく了解する。そう、ユピトリの言うとおり、いつもどおりなのだ。


 初めて探索に出た自分が、とやかく言うことではない。そう思ってはいるのだが、何故かイオの胸の内が一向に落ち着く気配はなかった。頭では理解していても、彼女の中で芽生えようとしているナニかが、自身の理解を阻害していた。


 なんにせよ、そうして気づいた時には彼女もまた駆け出していた。図らずも伴侶と同じように、込み上げてくるナニかに突き動かされながら…。

 足が進むにつれて濃くなる血の臭い。辺りの瓦礫も戦闘の苛烈さを物語るかの如く、灰燼と血痕が入り交じっている。ユピトリはこれから対峙するであろう怪物へ緊張感を高め、周囲の警戒を高めていく。


「ぐぁ……ッ!?」


 肉が裂け、命の消える音が耳に届く。獣が故の察知を働かせ、彼女は即座に場所を特定し、再度翼を広げる。もうこれ以上、サヨナラを増やさない為にも。


 間に合え…間に合え…思いを一心に込めて翼をはためかせ、最奥の地へと降り立つ。そこでユピトリが邂逅したのは、彼女が思い描いていたような異形の怪物……などではない。


 彼女の仲間と何ら変わりない、吸血鬼であった。


「……えっ?」


「……?」


 黒装束の全身に返り血を浴びた男。つばの広いテンガロンハットから垂れる不自然な白髪に、ユピトリの目は奪われる。向こうにとっても予想だにしない邂逅だったのか、大きな黒い帽子から見える表情はどこか呆けているよう。しかし、その下から覗いた瞳に、ユピトリは言いも知れぬ忌避を覚えた。


 結膜は底が見えぬ深淵のように黒く、角膜に当たる部位はまるで血液のように赤く染まっていた。そして、その両眼から瞬時に放たれる多大な殺気。堕鬼のソレとは違う、明確な殺意、どす黒く澱んだ憎悪が放たれ、ユピトリの体毛を嫌が応にも逆立たせる。


 更に忌避を覚えるのは、男の持つ大剣だ。恰好と同じく真っ黒な刀身は不揃いの牙のように連なっており、全ての刃から青ざめた血が滴っていた。


 吸血鬼狩り…前にルイから教わった怖い存在。各地で吸血鬼を殺し回っている得体の知れない存在。干上がった海溝にて遭遇した男女の吸血鬼より、目の前の黒装束の方がよっぽど名を呈す、まさに狩人であった。


「貴様は……何だ? 堕鬼…ではないな。よもや、こいつ等の仲間だとでも?」


 こいつ等……そう言われ、ユピトリは始めて周囲の状況が見えてきた。この場で二人の他には、地面にへたり込み腰が抜けて怯える男性の吸血鬼。そして、彼が片手で首を鷲掴み掲げる女性の吸血鬼。後者は既に虫の息とも呼べぬほど、致命的であった。


 狩人の問いに答えることなく、ユピトリは咄嗟に女性の下へ駆け出す。


 同時にへたり込んでいた吸血鬼が背を向けて逃げ出した。


「……愚かな」


 彼は手中の吸血鬼をユピトリヘ投げつけ、身を翻し、勢いで異形の両手剣を逃げ出した吸血鬼へと投擲する。


 避けるわけにもいかず、辛うじてまだ息がある彼女を見過ごせぬユピトリは反射的に受け止める。その瞬間、向こう側で響く衝撃と破壊の音。そして、鼻腔をくすぐる血の臭い。


 瞬時に目の前で命が侵された事実に、ユピトリの足が止まる。このヴェインという地において、その選択は実に致命的であった。


 抱きかかえていた吸血鬼の腹部が突き破れ、オウガの禍々しい鈎爪がユピトリヘと届く。


「……っ!?!?」


「……ほう?」


 恐怖、痛み、混乱が押し寄せる中、ユピトリは必死に歯を食いしばり、爪が自身を貫く寸での所で受け止め、襲い来るその全てに耐える。だが、間髪入れずに狩人は爪を突き上げ、抱えていた吸血鬼を引き裂き、冥血の波動でユピトリを彼方に吹き飛ばす。


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