宙に吹き飛ばされたユピトリは翼を広げて風を掴み、空にて受け身をとりつつ衝撃を和らげる。そうして飛ばされた先、崩れたビルへがっしりと足の鉤爪を固定させる。
より獣へと変身した彼女が再び戦地へ目を向けると、狩人によって削り取られた大地は今もなお熱を帯びていた。その所業は、もはや堕鬼に近い災厄である。
「穢れた汚物風情が…いいだろう。貴様は私の全力をもって……狩り殺すまで!」
宣告の後、狩人は異形の呪剣を自らの腕部に押し当て、動脈を引き裂いた。およそ常人では考えられぬほどの血量が噴き出し、文字通り血の雨と成って狩人に降り掛かる。
突然の自傷行為に面食らうユピトリ…だが、更なる異常を彼女は垣間見る。
狩人の手にする大剣に、冥血がじんわりと確実に纏わり付いていく。連なる異形の刃の一つ一つ、満遍なく満たされていく。それはまるで、狩人自身の命を吸い取るかの如く、冒涜的という言葉が存分に似合っていた。
「……ヌンッ!!」
大地に異形の刃を突きたて、ガリガリと火花を散らす勢いのまま振り上げる。先程狩人が放った禍々しい冥血の波動……その予備動作に変わりはなかったが、舞い散る火花と共に放たれるのは、先程の冥血の波動とは比べものにならない、おぞましい程に激流であった。
「うぁ……ッ!?」
威力・勢い・範囲…そのどれもが規格外と成った狩人の錬血により、ユピトリが支えにしていたビルは完全に倒壊。コンクリートの粉塵が辺り一帯を覆う中、慌ててユピトリは滑空の体勢をとり、翼を広げたまま地を目指す。
視界も碌に効かず、状況も把握できていないが、狩人との話し合いがもってのほかとなった今、彼女なりに態勢を建て直そうとしていたその時……あの殺意が飛来する。
眼前の粉塵から飛び出してきた血の斬撃、視認したと同時に感じた痛みに、ユピトリは宙から投げ出される。どじゃあっ…と顔から突っ込んだ彼女は、真っ先に己の翼を見やり、思わずカッと目を見開いた。
「翼をもがれた哀れな獣はどうなると思う? 散々見下していた大地の上で喰われるのだ。実に滑稽じゃあないか。獣には相応しい末路だろう?」
再生の因子を輝かせ、粉塵の中から歩き出でた血塗れの狩人…尚も向けられる憤怒と殺意にユピトリは感じたことのない恐れさえ覚えていた。だが、彼女は一心に気持ちを奮い立たせ、折れた翼をしまって立ち上がる。
尚もくじけぬ闘志を瞳に宿し、半獣は今、敵意を新たに狩人と対峙する。
「まだ…あなた、勝ってない。私、負けてない…負けれない。ここで、今、死ねない!」
「嗚呼、実に…らしい。汚物らしい、みっともない生への執着か」
「チガウッッ!!」
全身に冥血を行き渡らせ、力の限りにユピトリは叫ぶ。なぜなら…
「あなた、悪い人。ので、ここ、通したら、イオにも…悪いこと、する。でしょ?それだけは、嫌。私、絶対、許さない!!」
「イオ……? まあいい。貴様のような汚物を飼い放す者か……ならば望み通り、そいつも狩らねばならんだろうな」
刹那、ユピトリの双眼が赤く煌めき、狩人へ向かって突っ走る。獣性溢れる瞬発力は凄まじいの一言だが、一直線なソレは狩人にとって恰好の標的であった。
「愚かな……如何に速くとも所詮は汚物……なっ!? ぐぅッ!?」
的当てのように大剣を振り下ろすも、手応えはない。眼前にて彼女が血煙と化し、消失した。
そして、狩人の背部に生じる裂傷。反射的に後方へ薙ぐが、またも血煙が舞うのみ。そして刃が通り過ぎた瞬間、狩人の前に姿を現したユピトリが風切羽を見舞う。ルイの錬血「ファントムアサルト」を、ユピトリは完全に使いこなしているのだ。
確かなダメージを受けつつ、乾いた舌打ちと共に放たれるオウガの爪。大剣より幾分も振りが速い一撃が浅く入るが、ユピトリは華麗に後方へと下がっていく。胸元から僅かな血が垂れるが、その表情から確かな手応えが現れていた。
「……それは赤剣の業…それに、この香……貴様、やはり…」
ところが狩人は構わずという風に、オウガの爪に付着した彼女の血をまじまじと眺め、品定めの如く吟味している。あからさまな隙がそこにはあった。
注意が移っている、チャンスは今しかない。ユピトリは再度、全身に冥血を込め、勢いのまま前傾に突貫する。
ようやく目線が狩人と合致したその瞬間、彼女の姿は血煙となって消失する。
―――絶対、倒す!
狩人の斜め上方向に跳躍、狙うは狩人の頸椎一点、人の死角ともされる上空から、ユピトリは自身の持つ一番の錬血を叩き込まんとする。
これまでの旅路で発現した、奇しくも自身の名と関する一撃、幾多もの堕鬼を葬ってきた紫電が、彼女の強い想いと共に風切羽へと宿る。
錬血『ユピテルブレード』が炸裂し、鮮血が舞った。
―――― 一片の風切羽と共に―――――
「………ッ!?!?」
「……ふっ」
振り向きざまに斬り上げた異形の刃が彼女を捉え、真っ向から紫電諸共、風切羽をへし折った。ユピトリの想いを、正面から叩き潰したのだ。
「見慣れた物では無い…が、初見でもない。貴様のソレは所詮、紛い物に過ぎん。貴様の中にある忌々しい女王の匂いを辿れば、他愛もないのだよ」
淡々と言葉を綴る狩人。そこには、獲物を前に舌なめずりをするかのような余裕が垣間見える。それほどまでに今、この間合いはユピトリにとって危機的であった。
マズイと思考が巡る前、彼女の中の獣性が働き、四本の鉤爪が飛び出す。やぶれかぶれに繰り出した自慢の脚力を活かした一蹴り。それが悪手だと理解に至るのは、刹那の時も要らなかった。
「やはり汚物だな」
吸血牙装を展開し、出された片脚をオウガの爪で打ち払う。
「来たるべきヒトの世に、貴様等は要らんのだ」
空中で体幹を崩され溺れるユピトリに、禍々しき爪が深々と喰い込まれる。
穢れのない白の羽が舞い散る、赤く穢れた血と共に……。
あれほどまでに色鮮やかだったユピトリの牙装、彼女の内を表す極彩色が、今や自身の真っ赤な血に染められてしまった。
ゼエゼエと全身で浅い呼吸を繰り返し、尚も止まらぬ出血と痛みに苛まれるユピトリ。既に何度も、吸血鬼の特権である死に戻りを繰り返した彼女だが、今回ばかりは状況の重篤さを噛み締めざるを得ないだろう。
同族の命を幾度も狩り取り、そして今…同じように彼女の存在そのものを末梢せんとする漆黒の靴音が、刻一刻とユピトリの意識に刻まれる。
しかし全ての風切羽が折られようと、彼女の純然たる意思を折るまでには至らない。目の前のヒトの形をした怪物に恐れを抱こうと、それを大いに上回る想いが彼女の中で膨れあがり、既に限界近い意識を意地でも手放さんともがき続けていた。
立ち上がること叶わず、かろうじて四肢を動かせる満身創痍な身体とは裏腹に、燃えたぎる闘志を瞳に宿し、ユピトリは悠々と近づく狩人を全力で睨み付ける。
「……貴様、何だその瞳は……!」
目の前の半獣が自身に向けている瞳、その奥で強く燃え盛る生存本能が、狩人は気に入らなかった。それが生き残りをかけたものではなく、狩人に負けられないため、つまり血塗られた刃が仲間に掛かるのを良しとせず、あがき続けるその瞳が気に入らなかった。
他人のために命すらかけられる……それはまさしく、狩人が定義するところの正しきヒトの姿であった。
思えばこの半獣、最初から最後まで気づけば他の者ばかりを口にしていた。見知らぬ吸血鬼、自身の仲間、あまつさえ自らを屠ろうとしている狩人にも……。
――――迷うなっ!!