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 禍々しき瘴気に包まれた赤黒い空…大災厄によって全てが崩落し、かつては文明と名高かった残骸の中を、ユピトリは慣れた脚つきで駆けていく。その足取りは見えている景色とは裏腹に軽やかで、揺れる尾羽は誰がどう見ても上機嫌な様を指していた。


 それもそのはず、何を隠そう今この時は、最愛のヒトとの探索(デート)なのだ。


 それは、いつもの通りルイとヤクモの隠れ家でのこと。晴れて新たに仲間となった吸血鬼であるミアが、枯れ果てた血涙の泉の在処を続々と地図に記し始めた事から始まった。

 

 堕落に呑まれようとしていた弟を助けるべく各地を駆け回っていた彼女は、後悔と無念を渦巻きながら地図に印を付けていく。これ以上、弟のように渇き苦しむ吸血鬼達を増やさない為にも……と彼女は震える声で目に涙を溜めながら頭を下げた。


 彼等の計画は血涙の泉から地脈を導き出し、血涙の源流に辿り着くことだ。彼女の頼んでいることは、この計画の足を止めることに他ならない。


 だが、彼等の目的が将来的には多くの吸血鬼を救うとは言っても、即効性もなければ確実性も無いあやふやな代物である。それは彼等もよく分かっていた。だからこそ彼等は快く二つ返事で彼女の意を尊重し、付近の血涙の泉を活性化させることとした。


 ありがとう…と笑みを浮かべるミアへ、良かったね、とユピトリは思うままに頭を撫でた。オトウトを失ってからのミアが初めて見せた笑顔に、ユピトリは事情を把握せずともただ何となく嬉しくなったのだ。

 

 照れ隠しから乱暴に振り払われた後、ユピトリはルイの指示を耳にしながらいつものように専用の吸血牙装を羽織り、手慣れた手つきで準備を進めていく。


 彼等の目的を未だ把握していないユピトリだが、彼等なりに良いことをしようとしているのだけはなんとなく感じている。そして何より愛しきヒトが彼等の手伝いをすると決めたのなら、ユピトリが手をこまねくことなどあり得ようはずもない。


 彼女への想いを胸に、ユピトリはいつものように獣と化し、白く雄々しい翼を広げて戦場へと飛び立つ。すっかり見慣れた変身にミア以外の一同はいつものように健闘を祈ってユピトリを送り出す。


 いつものように…そう……いつものようにの筈だった。


「あの、ユピトリ…」


 愛しきヒトの声を捉え、ユピトリはハッと振り返る。


 「今度の探索は……私も共に……よろしいでしょうか?」


 ゆったりと…しかしどこか不安が混じった彼女の言葉。掛けられたユピトリの内には、なんとも言い知れぬ調べが荒ぶり高まっていた。


―――何故……私は……あんな事を……


 澄み切った金の瞳を揺らがせながら、ユピトリの背から戦地に降り立つまでの間、イオは何度も何度も自問を繰り返す。


 堕鬼や大災厄の怪物が跋扈する戦場が怖いわけではない。むしろその気になれば、自身に宿ったブラッドコードで自衛できるほどの実力をイオは備えている。


 神骸の伴侶…継承者に寄り添い、見届ける者……それこそがイオという者の存在意義であり、彼女に与えられた唯一の使命であった。自ら危険に飛び込むこの状況は、明らかに自身の使命からは逸脱している。


 しかし、一度彼女の内に生まれた想いが収まることはなく、彼女の思考は…よりにもよって彼女の存在意義である継承者によって歪められようとしていた。


 ユピトリ……姿形はヒトとも鳥とも呼べず、喪失と言うよりは無知という言葉が似合う思考、持つべきブラッドコードも壊れている全てが半端物の吸血鬼。真っ先に自身を番と慕う彼女によって、灰色だったイオの世界には、色がつき始めていった。


 災厄の地から帰還するとユピトリは真っ先に、愛すべき伴侶の下へとその羽を休めに行く。今日は凄いものを見た、今日はだれと友達になった、今日は仲間に助けられた、今日はサヨナラがあった、今日は―――――


 ヘタッピな歌を添えながら、彼女の嘴から放たれる様々な音色が、イオに色を与えていた。気の利いた返しの一つもできないというのに、ユピトリは悩みながらも四苦八苦に、そして一生懸命に言葉を並べ、最後には決まって笑顔を見せる。


 使命以外には何も無い空っぽな器、そんな彼女にユピトリはひたすら自分の世界を注いでいく。そして、彼女の中にユピトリと同じものが生まれようとしていた。


―――私は…私たちが成すべき事…私は……なんのために?


 悩み、考え、行動する―――それは本来、器には必要の無い自我が芽生えている証拠。ユピトリの思考の大部分は稚拙で、その行動は獣的だが、本当に大切だと思ったときには彼女なりに悩み、考え、それから行動に移している。


 ルイ、ヤクモ、そして新たにミアの助言を受けながら、ユピトリは日々悩み、そして確実に成長を遂げている。


 そして、ただの器であった筈の彼女は気が付いてしまった。伴侶たる自分は…ユピトリに何も与える事ができていないと…。


 彼女の想いがユピトリに伝われば、そんな事ない! と彼女は怒りさえするだろう。しかし、一度芽生えてしまった自我は留まることを知らず、気づけばあんな事を口走り戦地に立った今も尚、己の選択に思い悩む自身がいる。


―――嗚呼、ユピトリ…貴女はいつも、こんなにも難しいことをしているのですね。


 しかし、イオは決して苦しくなかった。それどころか、空っぽな筈の器が満たされていくような…使命である伴侶のユピトリへ少しでも近づけたことに、どこか充実感すら覚えていたのだ。


 愛しきヒトがそんな想いを馳せているとは露知らず、ユピトリはクリッと目を煌めかせながら彼女の前を駆けていく。ルイやヤクモと臨むいつもの時もそう、ユピトリは常に前を行き、斥候の役目を自ずと果たしている。


 だが、今日の彼女は何もかもが一回り違う。銀色の眼をぎらつかせながら常に獣の感覚を研ぎ澄ませ、敵の気配を察知しようと俊敏であり機敏だ。いつものように敵を見つけては突っ込んでいくような無謀な様は一切感じ取れない。廃墟の町中をいつも以上に忙しなく動き回る彼女の様は、思い人の手前良いところを見せようと必死なのは誰もが見てとれる。


「けぃ……ユピトリ、そんなに走っては危ないですよ? ここ一帯の建物は老朽化のあまり耐久性が低下していて―――」


「イオ、知ってる? ここ、危ない、よ。まちぶせ。いっつも、堕鬼、待ってる。でも私、強い。ので、あいつら、ババッと!返りうち。」


「…それは……頼もしいです」


 持ち前の運動性を活かして次々と建物に飛び移るユピトリに声を掛けるも、まぶしいほどの満面の笑みで返答されては、イオもそれ以上は口にできなかった。


 なんだかんだ言っても、ユピトリが頼もしげに見えるのは確かであった。いつも彼女が自身に見せる明るげな表情はそこに無く、丸い瞳を細めて笑みを殺し獲物を探す……夜鷹を彷彿とさせる真剣な彼女は、イオにとって新鮮以外の何物でもなかった。


 伴侶としての新たな彼女の一面を見つけ思わず惚けるイオ……反面ユピトリはこれ以上ないほどの焦燥に駆られていた。先程から忙しなく索敵を続ける彼女だが、辺りには堕鬼どころか獣一匹すら存在を感知できずにいた。これは、ユピトリがかつて経験したことがないほどの異常事態である。


 いつ如何なるどんな時でも、一度探索に出向けば常に包囲されるほどの怪物共を相手取る……最早日常とも言うべき瞬間であるはずなのに…。現在の同行者がルイやヤクモならば「こりゃ楽で良い」などと口にし、特に考えることなく「そうだね」などと同意するだろう。


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