4章 30



 暗い部屋の大きなモニターの光に照らされ、複数画面のうち、ひとつだけ動くものを目で追うネクロ。館に居ることを選んだ彼女をみても、表情は崩れなかった。

 ネクロの座る中央椅子のすぐ側、小さなソファに深く座って棒突き飴を舐めるレノ。彼もまた、館の主と同じく、なにも発さなかった。


「レノ」

「ん」


 画面の彼女を目で追ったまま、ネクロはレノの名を呼ぶ。

 彼が彼を見ていないように、レノも部屋の奥に置かれた花や本を見て応えた。


「どうして僕を殺そうとしないんです」

「…………」


 突然の難題に、レノは押し黙った。


「あなたの記憶に空いた穴、それを僕は知っています」

「誰からの命も受けていないことも」「でも」「あなたの心がわからない」

「契約に縛られて命を他人に、機械に握られて」「僕のことが嫌いなくせに」


俺は、  「困ったフリをしないで」


 何かを言い訳しようとしたレノの言葉に、強く言葉を被せた。


「………契約を解除しろと言われれば、そうします」

「機械ですから、人の感情に疎いんです」「教えていただけますか」

「僕 あなたのこと、気に入ってたんですよ」


 ネクロはモニターの電源を落とすと、部屋は真っ暗になった。


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 一方、劇場ロビー。館内をうろうろするユピトリを見かけて・客人は声をかけた。


「こんにちは、貴方もお客様ですか」


 黒い上着を着てフードを深く被っている。上着の色に惑わされて気づきにくいが、相当な返り血を浴びている。匂いはまだ新しく、もしかすると嗅いだ匂いもあるかもしれない。

 静まりかえった館内に響く声は、今まで出会った者の物ではない。


 ここで思い出すべきなのは、この場所への入り方。逸見がネクロを背負って戻ったときは、ネクロが"なにか"をすることで入れた。大量の化物が押し寄せてきたときは、館内の全電力が落ちたため。扉が再び閉まったのは、電力が復旧して"閉めた"ため。


 客人はなにもつづけない。お喋りな彼らと違って、ただずっと、待っている。

 なにかを、待っている。上着の長い袖のなかに手を隠して、なにかを待っている。

 制御室で行われる物事も、人格のリスポーンも、滴る雨も水も、全てが遅い。

 ない時計の秒針のひと段落でさえ、1日のように感じるかもしれない。




 時折よくあなたは目を見せてくれる。黄緑色の、飴玉のような、プラスティックのような、電球のような。何か例えを上げるほどにそれは生き物を逸れてしまうのに、何故かよっぽど初々しい。


 生きていえるか、死んでいるか。本物か、偽物か。などという、円にさえあってしまう対には神の世を築けるだけの力があるというのに、あなたの目を見るとこれが無意味になってしまうような、そんな気がする。


 千もの瞳があなたにはあるというのに。それらの九九九が輪郭を見るための偽物なのだけれど、最後の一つが閉じられてしまってはこれもやはり、意味を成さないように思う。せっかくの助言もまた。

 まぁ、どれだけ思考を張り巡らしたところでそんなことなどお構いなしのユピトリは、遊園地にでも連れてこられたようにロビーを見渡すのだけれど。


 一応、念のために彼女のことを言っておくと、彼女は呑気だとか怖いもの知らずだとか天才的に勇敢なわけではない。ただ分からないだけ。

 どれだけ戦争に家々が燃やされても、子供が兵隊と機関銃に憧れるように。どれだけ歴史を学んだって一見に勝る百聞が無いように。ただただ“知らない“だけ。


 わぁ、と漏らし、あと三歩四歩で彼に届きそうなところで立ち止まる。そこから彼の顔が見えないかな、と覗き込んでみたりもするのだけれど、なぜだろう。木の“うろ“のように、深い影にはなにも見えない。


 じゃあもしかして、見えないんじゃなくて本当に顔がないのかも。でもそれじゃオバケみたい。真っ黒で、何か隠して、血まみれで、やっぱりオバケなのかも。と少し失礼だが、彼をみて彼女が思った感想がこれである。


「おキャく…うん、お客さま。一緒だね。

 ね。これ、あなた?」


 ユピトリは人差し指を出して、もう一度あたりを一周見渡した。


「あ、そうだ。

 アンシャンテ、私、ユピトリ。あなたは?」



 彼女の前に立つ何かは、先ほど同様黙って佇んでいる。

 ない風が"何か"の上着の裾を揺らす、フードを揺らす。捲る。隠すように下げられた布があるべき場所へ戻る。露わになった顔。露わになった虚。夢。


 それは、顔がなかった。


、___!」


 顔のないそれが言葉を発そうとした時。

 すぐ近くから凄まじい音と、同時に館内に警告音が鳴り響いた。

 恐らく壁が崩れる音。彼女の前に立っていた顔のないそれはもう一度フードを被り直し、今度はフードの縁を手で押さえながら。足早にユピトリのすぐ目の前へと近づいた。


「失礼」


 顔のなかったそれは上着を広げると、隠すようにユピトリを包み込む。

 上着の内側はどうやら星空の宇宙のようで、彼女をまるっと"飲み込んだ。"


 顔のないそれの感嘆符の意味は、顔を見られたことよりも別にあった。

 それはユピトリを飲み込むと何事もなかったかのように、先程の大きな音の発生源へと足を進める。やかましい警告音など意に介さず、平然と、遅く歩く。


「ごめーん、遅くなっちゃった」


 音の発生源、先程のユピトリが居た部屋は粉々に崩れ、そこには聞き覚えのある声。

 ケホケホとわざとらしく砂埃を払う、過去の夢。ノース。


「普通に通ればいいものを」


 顔のないそれはノースに正面を隠すように背を向けて、目的地、館内の奥を指さした。が、腕を、袖を下ろし、「分かれますか」と呟いた。


「んー 何、どうして?」

「機械を壊す趣味はありませんので」


 笑みを貼り付けていたノースは無表情に戻り「そう」と一言返事をした。


 ノースと別れたあと、顔のないものは、上映灯のつかない扉の前で立ち止まる。


 扉を開けて、上段から、3.4段ほど降りて、

 舞台の上で寝っ転がっている、髪の長い男に声をかけた。


「7mp/~_6)(0.gqyiOh(zあowpdx),」


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