僕は貴方の目論見を知っているが、僕は今、貴方がどこでなにをしているかは知り得ない。ああ例えば、例のモノを乱用して世界を破滅に導こうだとか、どうせその破滅の中には僕もクニハルも含まれているとか。そんなことしか予測し得ないけれども。
彼は十分であった。今までの誰より強く、そして可愛らしい。
彼は十分であった。物わかりがよく、頭が良い。
彼は不十分であった。素質はあっても芽が吹かない。
彼女は不合格であった。素質を手に入れたにも関わらず、僕の箱を荒らした。
不合格、不合格!
ネクロはロビーに横たわる逸見の頭を膝に乗せ、ぼろぼろの体や頬を撫でた。
可愛らしい。かわいそう。かわいい。愛おしい。僕の手足。ひとりで夜泣きして、ひとりで外へ出て、よそ者に照らされて、傷ついて、自傷して、ああ、かわいい人。愛いひと。
僕はクニハルが、僕になびかない事を知っている。僕はクニハルが、自分しか見えていないことも知っている。袖を捲ると傷だらけ。服を捲ると傷だらけ。ねえ、僕、あなたが目が欲しいと言えば、差し上げますよ。あなたが、全ていらないと言えば、壊して差し上げますよ。あなたが、あの女を殺せと言えば、ロゼなんか無視して、電源にして差し上げますよ。ねえ。どうしてなんでもやってしまおうとするの。僕を頼って、僕に命令して。今ここでキスして。俺は自分しか見えていなくて、全員に気がないんだとここで蘇ってキスして。かわいいひとなのに、ああみて、1行目とぜんぜん違うじゃありませんか。ンフフ。ああ、壊したい。壊したい。こわしたい。僕の手で崩したい。
ネクロは逸見をぬいぐるみのように抱きしめて、耳元でなにかを囁いて、最後に頭を撫でてから、最大出力で電流を放った。
「……………さあ、防衛戦です」
逸見が霧散したすぐ後、隠れて盗み聞いていたレノに声をかけた。
ネクロの後に続くレノに、悪戯をしてやった。
「レノ ヴァイスのことですが」
「悪い、誰の話?」
その答えに、小さく口の端を上げて、レノの腕に腕を絡ませた。
「いいえ、なんでも」
窓の外には水気のない雲が風に吹き回されているが、どれほど待てども晴天にはならなかった。かといって皆皆の胸のような灰色く輝く鈍いものになることもない。
そんな停滞に、ようやく手が生えた揺らぎがたったの針の穴ほどの隙間から手を伸ばして劇場に訪れた。
彼女が持つチケットには、名前のない項目が青色で記されていて。乾ききっていないインクを見るに新しいものだろうが、それは古くから妙に知られた喜劇のタイトルだった。
チケットの半分を切りながら、彼女は烏とも鳩とも雉ともいえない濁った声で鳴く。
『神の国へ行くことは容易くとも。大気を揺るがすだけの力が、私にはないんです。』
もちろん、死に際の息をしているユピトリに何か言うだけの力は無いが、それはここが青い星ならの話である。
最も良いものにしようとするのなら、かつてのククルカンをなぞらえて太白の地を表したいが、彼女らの文明は今しがた始まったばかりである。土壇場の公演の始まった今、金星の代わりに月かそのあたりまで上げられた彼女の心臓が目覚めることを許されて、ひどく疲れ切った顔をしたユピトリは起き上がった。そんな彼女を気にしていないように
『私、君の影です。なので三分、これは君が捨て、私に与えられた奇跡です。考えなさい、しかし決めなさい。』
と、Xiは場を仕切るように流れっぱなしの水を止め、棚から適当にタオルを取って彼女の張り裂けた胸に押し当てた。やわらかい繊維が血を吸い上げて、いっそう早くユピトリの命は失われているように見える。その証拠に苦悶する唸り声が彼女から漏れる。
『君、ここで捨てたものがあまりにも多くて。私の魂は短命ながらたくさんあります。
そこで、交換しましょう。君の、食ったもの達と、私の余命。
残り二分です。』
さて、ユピトリは困り果てた。彼女の言っていることが分からないとかではなく、それが弔った友達にひどく申し訳ないような心地がしたからだ。けれどこのまま自分が冷たくなることもひどく恐ろしい。
今こうして天秤にグロテスクなものをかけている間も本当なら無いだろうに、Xiは彼女の人間の部分を見てどうしようも無さを覚え、裂け目から手を入れる。赤い泥水の中は皮膚が爛れるほど熱いだろう、しかし砂を掴むように臓物を掻いては混ぜ、数多あるはずの未来に線を入れる。
『残り一分ですよ。』
寒気がユピトリの背中を通りすぎる頃には、もはや選択肢など一つしか残っていなかった。
それで彼女は仕方がなく頷いてしまうのだが、その後の事はひどく呆気ない。
まるで記念日の朝のような顔をしたXiは彼女の底、腹からはぬらぬらしたものを。心臓からは黒い影を引き抜いた。
『価値を私にください。代わりに生きる手助けをしますから、いくらでも。ネ。
それでは、“さよなら“を。』
終わりに一鳴きして、Xiは再び揺らぎになって消えていく。
ユピトリもとうとう真っ二つになってしまって、ラムネ菓子のように崩れていく。
次に目を覚ました時、彼女はあまりの寒さに震えながら起き上がるのだけれども。
「…。ネクロ?ねぇネクロ。どこ。」
なんだか汚れている自分のからだや衣服、鏡に映る前髪を不思議に思いながらしゃがみ込んで、何一つ変わらない部屋で主を呼ぶだけだった。