「__は、っ~~っ ハハざ、まァ な」
赤。血の海。かわいいひと。
「あ゛っ、ああ~あ いっ い゛、っ!」
赤。真っ赤。ぐちゃぐちゃ。かわいいひと。目が回って、出る涙も出ない。
損得でしか動けない可哀想な製作者。なんにも知らない嘘つきの僕のバディ。消えかかって世界から忘れ去られてしまう抜け殻。……………………。
ひどい鳥。僕らの中にも、彼方にも、そんな荒らしかたをする者はいませんよ。
本人の気持ちを代弁するならば、"本気に受け取らないでよ"でしょう。
僕は機械ですから、憶測ですけど。知りません。教えません。
執行には至らない。腰が重い。あり得ないほど呆れている。
あなたを考察するに至らない。その気がない。この思考でさえも、処理が遅い。
僕以外の息遣いと、擦れる血液の音。それだけ。
「…………」
ネクロは中央階段に腰掛けたまま呆れた様子で首を振って、片手をだらりと挙げた。
手のひらを軽く広げると、レノと逸見は同時に意識を失った。
自分の血の海と背中をくっつけて、動かないレノ。
僅かに手が震えて、ようやく大人しくなった逸見。
どうせすぎた過去。僕に関係のない世界。外野。
抜け殻と鳥の終劇を目にしても、感想は出てこなかった。
ネクロは立ち上がって、色のない音を出す。
「ユピトリ
身体、洗いなさい」
乾きのあめくままに血肉にくちばしを捻り込んでは摘んで、自分の奥に押し込めて、そうしながら味わう彼は美味しくて美味しくて、おいしくて、おいしくて。
そのうち自分の匂いが堕鬼から彼にすり替えられた頃、原型の留め無くなったそれがあまり魅力的に思えなくなってきたようで…わかりやすく言うなら腹十分の目にケーキが素敵に見えないのと似たようなものを覚えて、強張った体を緩める。逆立てた羽毛を静かにさせる。咀嚼するのをやめる。
で、ようやく耳に自分の名の音が届いて羽角を倒す。
「…
わかんないや。」
枯れて見栄えのよろしくない声。淀んだ世界にため息を一つ吐く。
「悲しい、気持ち。それって嫌、でしょ?のに嫌が、どこか行っちゃった。」
むしろ満たされるような、悪くない心地さえ彼女は感じているのだけれど、それを伝える以上の言葉を知り得ていない。だから言葉を探して辺りを見渡して、目に入った刀に手を伸ばして自分の前髪を切った。
「こういう、気持ち。
ね。みんな、こういう気持ち、だったのかな、って。」
ユピトリも立ちあがり、床に叩き付けるほどではないがそれを投げ捨ててネクロの前へ足を歩める。もし彼が、彼の物語を繰り返し見ていたなら。その足取りに既視感を覚えるかもしれない。「風呂」と小さく呟く姿にも誰かを重ねるかもしれない。いや、そうしろ。
いろんな今が混ざった燻んだ血が、わざとらしく鼻から滴る。
「……」
はあ。
音にも、色にも出さず、黄緑色の眼球だけが。すこし伏され、鳥から目を避ける。
エラーに名前をつけてゴミ箱に入れるのはいつだって容易いのに、憚られる。
「………………」
言ってしまおうか、処理してしまおうか、吐いてしまおうか。
理性と情緒のない、目の前のケモノに、ない唾を吐いてしまおうか。
埋もれて最終記録が遠い昔のデータ。ああそれ、映画でみた。
初めて犯罪を犯した子供が、感情に整理がつかずに、自分の一部を新しく替える話。
前髪を、腕を、腹を、心を体を、なにを切ったって。あなたたちに変わりないのに。
僕はどうやら、一体のみで繰り返される作り替えの"フリ"が分からない。
僕は身体を替えても、変わらない。変わりたくない。
予習をなしに、この世を渡りたくない。命綱なしじゃ、歩けない。
「…………、……、 …」
彼女の呟きに、なにも返せない。
しんと静まり返った館内の僅かな明かりだけが、惨状を、血を照らす。それだけ。
ここで手を差し出したら、僕の手袋は、腕は、血がべったりついて、なかなか落とせなくなってしまうかな。ここで手を差し出したら、真っ赤な腕にお腹を貫かれてしまうかな。ここで手を差し出したら、お腹の上に乗られて、血を飲まされるかな。ここで手を差し出したら、腕ごと持っていかれて、壁に叩きつけられて、破壊されてしまうかな。ここで手を差し出したら、
「…………その汚い血を落として 話は、その後です」
ネクロは、押しピン程度の悪態をつきながら、右手を差し出した。
ついてこいと言えばいいものを、わざわざ手を差し出したネクロは。隠れた意味を穿り返して並べるのが大好きなネクロは、その穿り返して並べる行為を、黙って蹴飛ばした。
通知、アップデートのお知らせ。クリッククリック、ファイルを選択。タイピング、“お前を消す方法“を“ーを消す方法“に名前を変更。クリック、ゴミ箱へ移動_____
なんて、ね。
変わらないとか変わりたくないとか…何度の前に永い眠りについておきながらそんなの今更。
誰よりも過去に縋っているあなたは人生を一人きりでは歩けないし、他人の手足を借りて生きている“フリ“をして余生を過ごしているのに、ああもしかしたらそれもごっこ遊びの一つで、とびっきりの演技を他人に求めているのだろうか。
次の自分へ繋ぐためのエラー。一生直らないバグを直す次回のアップデートの口実。
ユピトリは滴る血を手首のあたりで擦るように拭い、彼の差し出した手を真っ直ぐに掴んでもつれるように自分の体を彼に寄せた。
残念ながら鋼の中にある氷や海、雲や砂漠がついて纏う彼女の匂いなんて分からないだろうが、彼女があなたの鼓動を知らないように世の中には知らなくて良いものが沢山ある。
寂しい形はそういう塵が積もってできていくのだけれど、彼女の塵を集めて産まれたたまごは今どこに隠されているのだろう。
丁寧にリボンまで飾られて随分と可愛らしくなったたまご。見つけられたならその時は何かの復活を祝うかもしれないけれど、妙に粘着くものが体や服についてしまったあなたには今、そんな冗談はただの嫌味にしかならないだろう。
代わりに、多少でも彼女の脳に干渉できる余力があるのなら。
ひとりぼっちは嫌でしょう、とでも言いたい心が覗けるかもしれない。いや、彼女はネクロの右手を握りしめたり指を絡めたりしてその心を覗かせた。
何時にも見える広い外に、一本の樹が佇むような。いちばん星が見えるような。崩れた巣が落ちているような。
「いやな人。ね。」
彼の目が泳いだのを見てから「あとは内緒」とユピトリは体を離して周囲を見渡す。
別に改めて現場を見ているわけではない。彼女は素直に水場を探していた。