2章 17


 くるくるくる。

 モニター、クニハル、レノ。

 モニター、クニハル、レノ。

 赤の光が差す部屋を映すモニターと、入り口のすぐそこに黙って立つクニハルと、狭い部屋の奥で黙ってモニターを見つめるレノ。

 回る椅子に目を廻すことなく、視界に写す。


 __“國春、180秒以内に、「監視室に来なさい」“


 彼らが居る部屋を出て、彼らが居る部屋を、出て。

 ヒロインにはなれないでしょうけれど、味方に転身する悪側ヒロインみたいな笑顔で、呼びつけた。


 予め客人を迎え入れるのは、ロゼから連絡を受けた時に話しておいた。“あなたの嫌いなひとがきますから、隠れておきなさい“と。鍵を渡した。彼は鍵を渡されたことに、自分がそこまで信用されているのか、そんな顔をして鍵を受け取った。

 あなたは頭がいいけれど、頭がいいからこそ、わかるでしょう。ね、レノ。いい子にしていなさい。


 そうしてモニターを男3人で眺めているわけですが、とうの僕はもう飽きて熱りも冷めてしまったので、そろそろデザートを参りましょう。


「本日のデザートは、___上質肉の永久機関」

「あなたの したいことをして」



 ふう、ふう、と息をして、気を落ち着かせ たい。

 なにをされても飽きたみたいな顔をして、しんだ目をしていたはずの目が、頭が、こころが引き裂かれそうな感覚。


 食べられてしまう、殺されてしまう?

「されてしまう」感覚。弱いものの、感覚。


 生憎じぶんのことで精一杯なので、彼女の様子は見ていられません。ごめんなさい。ごめんなさい。…こわいんじゃない わからない。

 おれが何をすべきで どうあるべきか わからない

 腕を摩って、息を落ちつかせて、目を閉じて、下を向いて、これがなにで、この先どうなるかは


「…………怖い」


 ____あ。


 自分の感情に気づいたのと同時に、部屋のほとんどの光源であった、真っ赤で所々しか先が見えない、大きなガラスが割れた。綺麗だとおもった。自分が苦しんでいても、真っ赤に染まったガラスが割れる瞬間は、とてもうつくしかった。


 真っ赤で先が見えなかったガラスがきらきらと落ちて、砂埃が少し舞って、ようやく見えた。

 たくさんの死体と、死体と、死体。死体。

 上から差し込む陽に背中を照らされて、表情がよくみえない。いつも、ネヴラの一歩後ろにいる、彼。


 ___ユピトリ。鳥の女。

 ロゼのお気に入り。ツァラの毒を受け取った女。

 ネクロのきらいな女。レノのきらいな女。


 ロゼから連絡を受けて、迎えに行く途中。

 ネクロから、どういう女だとか、これからどうするだとか。結構話した。俺はネクロの声が好きで、内容はなんでもよかった。今日はあしたも眠れる気がして、正直鳥の女の情報なんか1割しか入ってこなかった。

 風に揺れる草木だとか、しずかな太陽だとか、ネクロの手を繋ぎながら、声を聞いていた。

 それだけできっと、よかった。


 ロゼの拠点へ行って、彼女を見て、普通の子だと思った。普通だった。でも、皆彼女を見ていた。ネクロは、きらいなやつの話をよくする。きらいなのに。

 菓子袋を受け取って出て行くとき、ツァラに抱きしめてもらって、ちょっと嬉しかった。なにか言われたけど、嬉しくって、入ってこなかった。


 暗い部屋でモニターを眺めて、彼女とヴァイスを監視して、見るふりをして、もやもやしていたら、「すきなことをして」と、送り出された。


 ネクロは落ち着いたのがすき。ツァラは派手なのがすき。俺は建物の屋上から、剥き出しになっているガラス張りの部屋の、ガラスの前に降りた。

 散らばる死体、人間、ほか。全部俺が殺して、ゴミ溜にしてた。


 すう、と息をして、錬血を発動して、分厚いガラスを破った。


 割れたガラスの、暗い部屋の先。

 ユピトリと、ヴァイス。

 マスクをしているから、きっと見えていない。

 この先も、見えていない。見ない。


 刀は、構えない。鞘に収まったまま。

 じっとこちらを見る監視カメラに向かって軽く手を振って、ユピトリに向き直る。



 でたらめに叩いたピアノのような音に、脊髄が電気信号を送る。

 身構う四肢、閉じるまぶた。それは至極正常な判断、正常な反応。

 ガラスが割れたという事象を彼女が理解したのは、空気が震えきった後だった。


 だというのに彼女の興味はぽっかりと壁に空いた大穴に佇む彼でも無く、誰かのお気に入りだった場所の崩壊でもなく、その周りの餌に成り下がったものたちに惹かれていて。


 まったく、まったく。きみ達、君たち。

 随分と酷いことをしてくれるじゃないか。

 随分と、酷いことをしてくれるじゃないか。

 鬼籍に入れられた安逸に彼女、人らしい風情を馳せて人間ごっこをしていたのに。


 きっと彼の人生は、善意で舗装された地獄。その道を経た子供の見せる陰惨に、肺腑を突かれてしまって。彼女の、満たされる事がない腹の虫が飛び出そうとして力の限り暴れていた。


 葛藤か願望か。煩い野鳥の鳴き声が響く。


 …一般的に、人間は鳥ではない。なので鳥の言語は分からない。似たような翼を持っていた彼にも鳥の言葉は分からないだろう。


 強いて言うなら

「どうか私を、あなたの所へ連れて行ってください」

 という風な事を鳴いていたのだけれど、ああやっぱり翼の無い者には分からないのだろうね。それならば誰一人何一つ気に留める事はしなくていい。ただ鳴いている、それだけでいい。



 ユピトリはまっすぐにゴミ溜まりの方へと向かう。もうその頭には、菓子の入った袋の事など残っていなかった。


 交差点。行き交うひと、他人、他人、他人。今日のメニュー。約束、午前、午後。行き先に目的地。他人。落とされたゴミ。知らんぷり。気づかないふり。見えないふり。

 俺があんたを気にしても、あんたは俺を気にしない。

 一方通行。俺はずっと下を見て、あんたはずっと前を向いている。俺は天からの恵みに気づけなくて、あんたは地獄からの引き摺りに気づけない。


 暫く前に自分で刺した腹の傷に服の上から触れる。

 後ろの道は真っ黒。先は真っ赤。僅かな音と匂いを頼りに、歩いてきた。けど。


 ユピトリがゴミだめに夢中になり、引き寄せられて、歩いていくのを横目に。逸見は彼女を振り、返った。

 振り返って、彼女の腕を掴んで、引き止めて。自分の方へ引っ張った。


「_____俺も、派手なのが好き」


 誰に宛てて何のために発せられたのかわからない言葉。

 何を意味するかは、もう少し彼女が奥の死体より近場の彼を視界にさえ入れていれば、気づけたでしょう。

 視界に入れるだけ。たったそれだけ。


 正確に言えば、逸見はユピトリを自分の方へと引っ張って、その迎えに刀を出していた。


 勢いよく脇腹を貫く刀に、あなたはどんな痛みを感じるのでしょう。どんな悲鳴をあげて、どんな気分で、誰の名前を、呼ぶの?



 鋭いものに引き戻された意識が、物陰に隠れた彼と重なった。泣きそうな、困ったような、怒ったような、いろんな気持ちが交ざったような顔をユピトリはしているけれども。


『ひどい顔をしている』

 良い子のあなたが分かるのはここまで。

 銘々、身の丈にそぐわないものに関心を持つものではなかった。あなたも、もっと人の話を聞けていたならば、その先の事にも気づけていたでしょうに。ね。


 考える事が嫌いならば、あなたのために簡単な穴埋め問題をあげようか。

 彼女が、誰と命を一つにしたのか。誰と血を一つにしたのか。誰と一緒なのか。

 誰が半分なのか。


「…」


 なにかを言おうとしたけれど、ユピトリは口をつぐんだ。代わりにそのひどい顔で彼を見た。もう間に合わないかもしれないけれど。


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