2章 15



 答え合わせ。全額没収。


 賭けた根性はあっけなく散らされ、はあ、そんなことか 期待して損した

 そんなふうに評されても 致し方ないでしょう。


 ネクロがユピトリを連れ一面緑の部屋に入る、随分前。 かなり前。事が動く前。あれを寄越す前。それからずっと。


 吹き抜けの二階部分からずっと、じっと座って、たまに寝て、ずっとそこにいた。


 連れられてきた少女をぼーっと見て。

 光によろめいた少女をみて ぺたぺた


 ぺたぺた ひたひた


 青白く痩せ細って、薄っぺらい足で

 ちょっと質のいい絨毯を歩く。


 突然広げられた翼。


 吹き込むはずのない風が、ふわり

 伸びきった前髪が風に揺れて、酷い跡のついた顔が露わになって

 また、前髪に隠された。


 大きな翼めがけて足を動かして、


 彼女の背後から、ぴったり 抱きついた。


「 すてきな つばさですね 」


 目を閉じて お日様の匂いを感じる。

 決して感じることのなかった、日の匂い。火の匂い。陽の匂い。


「 はじめまして おじょうさん


 レノが お世話になりました 」


 あなたの目はみないまま、目をとじたまま

 においと、景色と 空気をかんじて、小さな声を発する。


 痩せ細った身体、裸足

 光のない、左右で色の違う目


 顔の半分、火傷の跡のような、


 背中の部分だけ大きく開いた、一枚もの。

 真っ赤で真っ黒な、いまにも破裂しそうに、剥き出しになりそうな何かが突っ張った背中。


 落ち着いた声。


 煙の中にいるような匂い。

 すべての半分みたいな、苦しい匂い。

 光と闇みたいな、黒と白みたいな、匂い。


 機械よりも、きっと 黒い。



 レノ。


 彼のおかげでツァラは泣き、ロゼは死を纏い、海の王と命を分けたのをユピトリは忘れるはずがなかった。


 赤黒い小瓶を持ってきて、水浸しの生臭い世界を見せた彼の名は、ユピトリにとって血を意味している。肉の間に張り巡らされ、循環し続けるそれは時に神や悪魔に捧げられたりもするのだけれど。

 清濁の二面を持つそれの片方しか、ユピトリはまだ知らない。


 なので嫌気がして、何も言わず自分を抱きしめる腕を掴んで強引に引き寄せた。手繰り寄せた。連れてきた。


 そして、シフォンを重ねたようなくすぶった灰色が、目に映った。


 あの嫉妬に狂っていそうな人や、他人が分からないような人でもない、全く知らない人。

 全く、知らないもの。

 初めて出会うもの。ならばユピトリが次にいう言葉はひとつだけ。


「アンシャンテ。」


 また、あの例のお気に入りの挨拶。

 あまりにもあちこちに初めましてをばら撒いてしまっているので、きっと何処かの誰かさんは呆れているかも知れないが、しっかりと根付いてしまったその言葉はもう花を咲かせてしまっている。


 大人が与える影響は、思ったよりも子供に大きい事に気付いただろうか。まあ分かったところでもう遅いのだけれども。


 彼の静けさに少し落ち着いたユピトリは翼を静かにたたんだ。

 それからよく顔を見て、隠しきれていない傷跡にそっと指を置いて、少し背伸びして、耳元の匂いを嗅いで、小さな舌で頬を舐めた。



 めぐりあい 偶然 必然?

 “挫折を知らない灰“を被った純白。

 言葉を常識を 世間を知らないシロ。


 太陽みたいで、大きな翼をもっているあなた。

 抜け殻みたいに、翼を亡くしたあなた。

 残念ながら、ここには鬼と、抜け殻と、しょうもない男と、僕しかいません。


 まあ 残念 ……

 かわいそう。

 誤算でしたね ロゼ ___


 大きな翼に抱きついたら、強引に引かれて、じっと見られて、顔を触られて、舐められた。


 あまり“優しくない“その扱いに、ぞわっとした。

 びっくりして、ぞわっとして、少女の手を掴んでしまった。


「 っ、 ぁ………」


「 ヴァイス 」


 つかんで、つかんだ後のことを考えておらず、切羽詰まっているところを、部屋の主に名前を呼ばれ、はっとする。


 それから掴んでしまった少女の手を一緒に下ろして、“すみません“と小さく呟いて、放した。


 名を呼んだネクロのほうへ向かい、隣に腰掛けて、片手を繋ぎ合わせた。

 視線はすこし下へ、ゆっくり息をして。


 まるで代わりみたいに、通訳みたいに。ネクロが口を開く。


「 ユピトリ 紹介します、

 彼は “ヴァイス“  」


 開かれたのは、地獄への門か。

 はたまた、煉獄への門か。


 天国?あり得ない。



 天国だの地獄だの、使い古されて擦り切れてしまったような言葉や概念。けれど千年を超えても砂糖やスパイスのように扱われるというのだからまったく、笑止の沙汰である。


 まぁ、そもそも、冒涜的に生きている我々に天の御国なんてものはハナから無いのだけど。かといって地の牢獄へ堕ちる理由も無ければ、炎によって清められるべき罪を背負った覚えもないのだけど。もっと端的にいうなら何にも無い。


 だというのに門が開かれたと言うならば、きっと造形的な罪がここにあるのかな。

 もしくは彼の有名な詩人のように、一切の望みを捨て去ってでも到達しなければならない星の下があるのかな。あるいは両方かな。


 それで、這うことを知ったばかりの乳飲み子のように手にしたものをなんでも口にしてしまう彼女の事を、なんと呼ぶ?

 審判はもうその手に託している。改めて、ここの主はあなたである。もし折れ曲がった道路標識のように、無い道を指し示したとしても構わない。こんなデタラメな世界じゃ南南西を北に向かって歩くこともできてしまうだろうし。嫌いではないでしょう?



 ふぅん、と舌先に残った感覚に頷いて、ユピトリはその場にしゃがみ込んだ。それから考えた。

 例えば二人は仲がいいんだろうなとか、ネクロは手を繋ぐのが好きなんだなとか、ヴァイスという人の匂いや味は悪くなかったなとか、あ、そういえばお菓子をまだ食べていないなとか。


 そうだ、甘い匂いのするお菓子をヴァイスに食べさせたら、もっと良い味になったりするのだろうか。ああいや、食べてはいけないか、でも指先を少しかじるくらいならどうだろう?…やはりだめだと思う。それは、それは、いけない事だと思う。


 超自我に芽生えた自制心に気付いて首を振る。立ち上がって、なんだか頼りない彼に向かってお辞儀を一つする。


「ヴァイス、ヴァイス。突然、びっくりした。でも、もう大丈夫。ので、いいよ。」


 走る事を覚えた子供にするように、両手を広げて呼びかけた。



 何かの意思でスキップされた3章は、

 黙って、黙って。瞬きをして、

 小鳥の勧誘をきいて、きいて、

 行き場のないエラーを飲む。


 繋いでいた手を、指を甘噛みした。

 がじがじ、たまに舐めて、口に含んで

 感じもしない味を堪能するみたいに、見せつける。


 大人しく繋いでいた指を噛まれ舐められた

 本人は、おどろいて、あたふたして、

 たまにびくっとして、

 ちらりとユピトリの方を見る。


「あ、あの ネヴ、ラ…」


 ___名を呼ばれても反応せず続行して、

 少しして指から口を話す。


 少し空気を吸い込んで、吐く。


 手は掴んだまま、ユピトリに視線をやり、

 べ、と舌を出して侮辱した。


 はあ  いやなひと。

 いやなひと、 いやなひと1!


「ン、フフ アハ」


 ヴァイスの手を離して、自分の口元を隠しながらくつくつと小刻みに笑った。

 好き勝手したネクロは立ち上がって、“一羽“と“一体“で入ってきた扉へと足を進める。


「ハーーーー……ァ、ンフ フフ 失礼、

 それでは…ごゆっくり」


 扉をゆっくり閉めて、閉めた後の表情。みた

 知ってる?知らない知らない。

 知らないで!見ちゃダメ!


「~~~あっは ハハハ!!」


 ふらふら、ふわふわ、ルンルン

 どれとでもとれる足取りで、出口へ向かう。


 ふらふら、ふわふわ、ルンルン

 どれとでもとれる足取りで、出口へ向かう。


 ___警備システムに接続


 黄緑に光る首輪に触れて、点滅。


「國春、180秒以内に___」


 取り残された少女と、呆然と自分の指を見る青年。


 硝子の奥は赤黒い、薄暗い部屋。


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