2章 11


 青年と無機質は、その光景に、顔を見合わせて。


「……輪になって帰るつもりですか」


 その陽だまりのようなあなたに免じて、壊れた僕たちで、挟んであげましょう。青年と無機質は手を離して、ユピトリを真ん中に、3人並んで。歩き出す。


 この世界には外野はいても、警察やお偉いさんはいません。阿保みたいに人種の異なる3人が、並んで、手を繋いで帰るなど。後ろ指を指すやつがいるかもしれません。なんせ警察やお偉いさんが居ないのですから、なんだってできるわけです。

 そうしたら僕は、

 あなたたちを守る檻をつくって、外野を串刺しにしてやることだって、できます。


 ロゼの頼みですから。


 ロゼ。あなたが、今、僕に。

 この鳥を殺せと命じれば。

 手から溶けて、入って、乗っ取って。


 無機質は変わらぬうすら笑いを浮かべながら、足を進めている。

 こちらは僕とあなたの物語。

 あちらは彼と、彼の物語。



 彼の孕む狂気には、ほとほとうっとりとしてしまう。なるほど、彼女を殺してしまえると。


 彼女を、殺してしまえると。


 やはり、彼は害あるもの、毒あるものであるのだろうか。無罪のものにそんな感情を抱いてしまうような者なのだから、その説を拭えないでいる。


 けれど、彼の言葉には正しいところがいくつかあって、例えば“僕とあなたの物語”である事も確かなのである。ならば外野がこれ以上とやかく言うのは、やめておこう。


 それで、大の大人が並んで歩く。少し、滑稽に思えるその光景が微笑ましいではないか。望んだ平和とは、実はこういう事であるのかもしれない。これを平和といってしまえば世界の明るさに腰を抜かしてしまいそうであるが。


 どこへ向かっているのかはっきりとはわからないけれども、ユピトリは彼らの向かう足先の方へとにかく素直についていった。


 時折風に乗って鼻をくすぐる菓子の匂いや、そこらの草花、流れる雲に気を取られてキョロキョロとする。いつもと違った歩幅、速さで歩く景色が、面白く見えてしまって仕方がないのである。


 その気持ちを知りたいのであれば、少しでいいので彼女の歩幅に気を止めてみるといいかもしれない。


 辺りを堪能したい彼女の、少しゆっくりとした足取りに苛立ちを覚えない程度に、試してみるといい。


「……」


 きょろきょろと、玩具屋に連れてこられた子供のように辺りを見回す彼女には、とうに気がついていた。

 ここできっと、適当な理由をつけて、雑に足を鈍臭くしたところで、休憩を入れたところで。それは、彼らの模倣に過ぎない。


 菓子の匂いも、風の匂いも、崩れた建物の匂いもわからない。わからないのだから、感じる気がそもそも抜け落ちていた。感じようとする姿勢でさえ、そういうコマンドでさえ、ない。自分で取った。必要なかった。


 ただ死んだ目に流れていくフィルムのような、景色に、なんだって思わない。


 研究心と好奇心がまるで完遂されきって、やる気がない。繋がれていない方の腕はだらんとしていて、


 ああ 太陽の近所にPCを置くのをやめろ。


「……………つかれました」


 足取りは重いものになり、次第に、歩みをとめた。

 薄暗い水族館から鳥を回収したあとの空はからっと晴れていて、体が重くて、ないはずの寒気を感じて、鬱陶しかった。


 __景色を見たい彼女の、気を遣った?


 ああはい そうですそうです ええ

 ちょっと黙っててください


 繋いだ手を離して、近くの壁に凭れ掛かる。

 眼を閉じ、首の後ろを押さえて、首を僅かに揺らす。


 “つかれた“と言うネクロを見て、長髪の青年は、ユピトリに菓子のつめられた袋を、押し付けるように渡した。


「っ悪い、持っててくれ」


 壁に凭れ掛かる無機質に駆け寄って、額に手を当ててあるはずもない熱を確かめたり、手を掴んで何かを待つように声を掛けたり。あら、あら。これはまるで。


 それはそうと、繋がれていた手は、

 完全に。離れてしまいましたけれども。


 太陽に、優しさを感じる反面で眩ゆさに狂気を覚える。なるほど、互いにどこかで互いの狂気に気づいていて、何か畏怖しているのかもしれない。


 なんて都合のいい空想を馳せては、彼に限ってそんな事な無いだろうとも思っているところである。


 ユピトリは両手で菓子の入った袋を包み込んで、何やら騒々しい二人を眺める。別に、顔色が悪そうに見えるわけではない、けれど知らない何かがあるのかもしれない。


 観察をしてみて、二人の仲の良さを知って、感嘆のような小さなため息をついた。


 私も、まぜてほしい。


 明確にそんなことを思っているかは定かじゃ無いが、ユピトリはだいたいそのような感情を覚えて、そっと近づいた。


「大丈夫?」



 大丈夫。

 彼女にはこれを言ってやらないといけない、

 そう判断して、通じもしないであろう冗談をまぜてみた。これくらいには、問題ありませんよ。なんて。


「 ~ええ、まあ、…刺身に、やられました」


 耳に入ってしまった水を出すように、頭を傾けて軽くとんとん叩く素振りをしてみる。


「ちょっと黙ってろ」


 それを見兼ねた青長髪の青年が、声色は変わらぬものの、少し棘を持った言い方をした。


 おとなしく、わざとらしくやれやれといった表情を作った無機質は、青年に体を預ける。

 ネクロをおぶった青年は、ユピトリにこう告げた。


「……悪い。行こう」



「さしみ。」


 やはり通じなかった冗談に頭を悩ませる。そも、刺身が何かが分からないのだから謎は深まるばかりである。

 もしもそれが、海の王の事を指すのであれば、きっとまた豊かな心が泣いてしまうであろうに。


 再三言っている様な気がする。知らなくてもいいような事を知ろうとする事、それを「愚か者」と呼ぶという事を。この子は一体いつになればそれに気づいてくれるだろうか。

 無知の知や、無知の罪、古の偉人の言葉がこの世界に通用するのかは定かではないのだけれど。


 ともあれユピトリは「さしみ、それは何?」と先行く二人を追いかけた。



 素直な疑問を投げかける少女に、子供のようにおんぶをされた無機質は、素直に返してやった。


「あなたが“やきとり“と言われるのと同じです」


 これ以上に素直な答えがあるでしょうか。

 いいえ、ありません。あるはずがない。

 嫌味なんてものではない、これは呼吸なのだ。


 ___


 そうして長いこと歩いて、廃れた市街地へと、足を踏み入れた。


 錆びてへんな音を立てる車。いつ崩れてもおかしくはないビルや、足場。剥き出しの鉄骨。死骸。死体。

 あんまり、綺麗とは言えない。

 真っ赤に染まった壁、むせ返るにおい。


 ただ目的地に足を進める青年におぶられた、暇そうな無機質が少女へ話しかけるように呟いた。


「 どう思います これ 」


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